【信じる】とはなんだろう。




我が子に対して【信じる】という言葉を使う時


そこに


我が子への【期待】が込められていないだろうか。




県立トップ高校に入学出来たのだから、その授業についていけるはず


あれだけ勉強していたのだから、やる気になれば出来るはず


この高校で勉強すれば、良い大学に入学出来るはず



それは、【信じる】と言えるだろうか。



私は、一体何を見ていたのだろう。

どこに目を向けていたのだろう。



息子に成績表を見せるように言っても


「自分で反省するために、自分で見て、自分で持っている」


と、答えにならない返答をしていた息子。



《息子を信じよう》

《悪い成績を見て自分を奮い立たせるのだろう》


そう思っていた。


《少し休めば、自分で考えて動き出すだろう》


そう信じていた。



信じていた、というより本当は

それは、ただの私の希望や期待でしかなかった。



定期テスト前でも必死になって勉強する姿を見せない息子に対し


私のイライラは募るばかりだった。



《自分の期待と相手の実態とのズレ》



そのズレは大きくなるばかりで、その差が縮まる事は無かった。



ズレればズレるほど


【裏切られた】という想いが募り



その頃の私は冷静ではいられなかった。



息子を信じようと思えば思うほど

自分で自分の首を絞めるような気持ちになり


毎日が


とても苦しかった。