非現実的と思われるかもしれませんが、病気の人は「病気でない」と思い込むことがベストです。我々の中では常識です。症状は自己治癒中と捉えることです。闘っているのは体内であって自分の意思に関係ありません。体内で免疫が闘っているとき等、自分も頑張ろうなんて頑張ると免疫の足を引っ張ります。自然治癒の邪魔になるのです。まず体内で闘っているのは忘れて任せておくことが最も体内の免疫は闘いやすく力を発揮できるのです。免疫のコントロールさえしっかりやってくれます。

一番よくないのは「心配」すること。悪循環必至です。対極にあるのが「楽観」です。病気の状態における究極の楽観は、「病気そのものが存在しないというレベルに達することで、気にしないあるいは忘れている」という状態でしょう。

子供の病気などは典型的で、心配する親とそうでない親では治癒効果は圧倒的に(比較にならない程)後者が高いのです。当然愛情をもってという条件付きですが。病気を感じて、その病気のことを必死で調べる人と全く調べようともしない無関心タイプでは圧倒的に治癒効果は後者が上であるのはこれまでの常識です。要するにいつの間にか治っているということです。             参考)
楽観に勝る薬はない  楽観に勝る薬はない2  楽観に勝る薬はない3
以上のことを「現実離れ」と思う人は、生まれてからこれまで「医療化」という流れを肯定する教育や環境、社会の仕組みによって喧伝され、流布されてきた結果得た思考回路になってしまっているのです。


私を知る人は私が若いころから救急・重症レベルでも病院に行かなかったということがかなり知られていますが、これはあくまでも特殊で、基本当たり前ですが、皆さんは救急レベルは病院へ行ってください。

状況や状態にもよりますが、慢性病と判断したとき、また診断されたときは、その後まず「病院」という言葉を頭から消し去ってください。自分の体の中でどうすれば修復する機能を高められるかを設定して日常生活の中で習慣的に取り組むことです。あとは生活の中でその病気であることを忘れてしまうことです。おそらくいつの間にか治っていることでしょう。

これらすべて私の幼少期から現在に至るまでの体験に基づいたものです。がんであってもその病気に無知であり私を病院に連れて行くという考えがなかったり、41度近く熱が出ても病院に連れて行ってくれなかった両親に感謝しています。ただ、両親の愛情だけはしっかり感じていましたので不満も不安も一切ありませんでした。小学校4年生のとき病気が多かったのですが、じっくりと学校を休ませてくれたので(あと3日で義務教育留年の危機でした)勉強は遅れましたが5年生~6年生と校内1のスポーツ少年になることができました。

現在57歳ですが、100m走はおそらく12秒台前半で走れるでしょう。120段以上の神社の階段もダッシュで楽々息切れなしです。腹筋も腕立て伏せも1日で1000回は軽くです。私も病気になるときはなります。ならない方が変です。ただ熱が39度台なら楽々仕事はこなせます。若いときは40度で2時間誰にも気づかれることなく講演をしたこともあります。これは「起こっていること」と「行うこと」の区別が出来ているからです。薬は例外なく絶対飲みません。検査は一切しません。症状は自己治癒中というだけのことです。

今年最後のブログです。1年間ありがとうございました。皆さまどうぞ良いお年をお迎えください。