人間にとって本来「異物」は排除されるべきものであります。

我々は普段、健康や病気を考えるとき「異物」は「体内での異物」を考えますので、どうも中が見えないためその「異物」が原因で大小あれど、よほど症状が出てから怖いものと捉えます。

しかし、人間の表面では、例えばちょっとトゲが刺さったたりしただけで相当の痛みや違和感を感じます。靴の中に数ミリの石ころがあるだけで歩くときに違和感や意外と大きい強い痛みを感じます。内臓などは皮膚の表面などに比べて鈍感であるため体内では「異物」が今どのうような状態にあるか簡単にはわかりません。

石ころやトゲはすなわち「異物」なのです。要するに、体内の「異物」は相当な違和性があるはずなのです。にもかかわらず内臓など鈍感なために放置されてしまうのです。

ふつう軽症なら主訴と問診で検査項目を決めます。ということは自覚症状が分かりにくい病気は見落とされ、薬の選び方や使い方に見当違いが生じる結果になります。正しい使い方をしても危険と隣合わせの薬が「見当違い」となると考えただけでも私などは鳥肌が立ちます。

そして、症状が悪化してからさらに薬という自然科学の目から見たら「異物」を体に放り込んでいくのです。


医師(physician)という言葉は「自然」を意味し、ギリシア語の「自然科学(phusis)」から派生した言葉だそうです。

しかし・・・

医大など医学の教育の場では「自然治癒力」は教えられず、医学大辞典にも「自然治癒力」という言葉はどこを探しても見当たらないらしいのです。

我々栄養と予防を勉強している者は、「予防医学=病気にならない体をつくる=自然治癒力」ということですが、医学の言う予防医学とは「公衆衛生や予防接種とか検診」です。全くの畑違いと言っていいでしょう。

対症療法は全面的に否定はできません。しかし、「医師=自然」というヒポクラテス的な考え方は医学や薬、医療機器などの進化と評価以上に重要視されなければいけないのではないでしょうか。