一時的な人達、ただ通過した人達、今も付き合っている人達、最近会った人達、これから会うべき人達、色々な人達が現れました。
それまでの人達より、これからの人達の方が断然多いとは思いますが、ただ単に通過させているだけでは意味がないと思います。
MLMと出会い、もうすぐ10年を迎えますが、色々な方々とお逢いして来ました。
1人の人間では、出会っても、全ての人達と常に逢うことは出来ず、限られた人達としか交流する事は出来ません。
その【縁】をどう活かして行くか?
どう学んで行くか?
どう繋げて行くか?
それがいつも毎日の課題であり、テーマです。
日本人は、人との出逢いを最も大切にする民族だったように思います。
だったとは、もう過去のものになったような気がするからです。
出逢いを大切にしない
出逢おうともしない
極力人との関わりを持とうとしない
など、最近の日本人は、何か大切なものを過去に置き去りにしたように感じます。
昔、500年も前の戦国時代、下剋上と言われたその時代にも、人の絆を大切にする人達は沢山いました。
下剋上というと、親が子供を、子供が親を、兄が弟を、弟が兄を平気で殺す時代の事を言うのですが、その頃でも人を人として見る心は失われてなかったように思われます。
何年か前のNHK 大河ドラマに「江~姫たちの戦国~」
と言う作品がありました。
そのドラマは、正しく戦国時代ど真ん中の女性の生き方を描いたものです。
室町幕府の力が衰え、各地方の守護大名達が勃興し、国の境界を越えて国盗合戦が各地域で繰り広げられます。
その戦いは100年にも及び、歴史上では、大坂冬の陣、夏の陣まで続きます。
皆さんもご存じの様に織田信長が基礎を作り、豊臣秀吉が纏め、徳川家康が幕府を作り、260年の大平の世が続くのですが、今の礼儀礼節が一般に広まるのは、江戸時代になって、儒教や朱子学の教えてが広まってからです。
話は元に戻りますが、織田信長が天下布武を掲げて、国盗に邁進していた頃、今の北陸に昔から続く大大名朝倉家がありました。
そこを何とかしようと彼の本拠地尾張(名古屋)から北陸に向かう途中の地、近江国を治めている浅井家と同盟を結ぶ為、当時、絶世の美女と言われていた妹、お市の方をお嫁に出します。
その子供三姉妹が、お茶々、お初、お江です。
見事、同盟を結んだ信長は、勢いよく近江を越え北陸越前に攻め混みますが、もう一歩のところで、浅井家に裏切られ、後方からの挟み撃ちに合い、命からがら退散しました。
激怒した信長は、後に浅井家を成敗しますが、あの慎重な信長が、何故浅井家を信用し、本人にとって思いもかけない裏切りに会ったのでしょうか?
その歴史上の事は、僕は学者ではありませんので、詳しくは皆さんで調べてみて下さい。
浅井家が信長を裏切った最大の理由は、浅井家と朝倉家は長年の家の深い付き合いがあったようです。
何代も前に浅井家が戦で窮地に陥った時に朝倉家から大量の援軍を贈ってもらい、何とか救われた事があったようです。
その恩を、義理を、浅井長政が日頃から常に感じていたからです。
信長には、自分の妹を嫁がせて油断したところがあったにせよ、日本人は、ここまで恩を大切にする民族だと言う事です。
浅井長政の心中はいかがなものだったのだろうと思いますが、相当なる決断であったのではないでしょうか?
人の繋がりとは、時代を越え、脈々と続いて行くのですが、現代では他の国の出来事ですかと言わんばかりに、自分の事だけを考え、自分1人で産まれ、生きて来たような振る舞いの人達が、年令を問わずたくさんいるのではないでしょうか。
しかし、コミュニケーションビジネスにおいては、そういう人達には容赦なく、最高裁の判決が下ります。
伝える人がいない。
伝えたくてもなかなか会ってくれない。
伝えてもわかってくれない。
MLMを伝えた日を境に連絡が着かなくなった。
等々、如何に薄っぺらな自己中心的な付き合いをしてきたのだろうと思い知らされます。
殆んどの人達はそこで、ビジネスのせいにしてリタイヤして行くのですが、その後の人生においてもそこで反省し、学習しなければ、又、同じ憂き目に合ってしまうのです。
人と人とが織り成す社会、人付き合いを無視して、蔑ろにして、上手く生きて行ける程、人生は簡単に出来ていないのではないでしょうか。
まだまだ若輩者の私ですが、ビジネスを通して考えさせられる事は、人は絶対1人では生きて行けないと言う事です。
又、人と関わる事でしか生きて行けない生き物だと言う事です。
人と人とが交わり、人によって磨かれて行くビジネス。それがMLMだと言う事ではないでしょうか。
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