昨日、3月11日午後2時46分・・・・・

俺は車で走行してました。最初は強い横風が吹いているのかと思いました。ハンドルが左右にとられてしまうのです。あれ?タイヤがパンクしてしまったのか?と徐々に車の速度を落として行く。
ただ事ではない!そう確信したのは、両脇にある電線を見た時だ。
車を道路わきに寄せ、停車した。激しく車体が左右に揺れる。周囲の車も思わず道路わきに車を寄せ停車した。激しく揺れる車体、そして地面。どの位揺れたであろうか・・・俺には2,3分位に感じた。
その間、車の中でパニックになった。揺れが一旦止まり、車をゆっくりと走らせる。

実はその日、母親を病院に連れて行った。そして、母親は病院で診察待ちをしていた。恐る恐る車を運転しながら母親のいる病院へと急いだ。

今までに経験した事のない大きな揺れだった。病院に到着すると、母親はまだ診察を受ける前で病院の中も混乱している様子。と、また余震が来る。激しく揺れる。
病院内の職員が手すりに捕まる様に指示を出す。手すりに捕まらないと立っていられない位の揺れ。病院の職員の指示に従い避難する。

一角の広いロビーに外来患者、入院患者が一同に集まる。
かなりの人数である。避難後、一時間経過しても適切な指示を得られず、携帯電話も接続が不能にな状態に。
家の事が気がかりになる俺と母親。その間も何度か襲ってくる地震。
意を決して車で帰宅する。
帰宅途中、信号機が点いていない。停電である。
いつもはスイスイと進める道路も信号機が機能しないと、これ程までに渋滞するのか・・・・交差点も恐る恐る徐行して通過しなければならない。

やっとの思いで家に着く。
俺の家は海から数百メートルという場所にある。地元の消防団が警鐘を鳴らしながら避難を促している。津波が来るというのだ。

その時には既に俺の家も停電。そして、度々襲ってくる地震。しかし、父親は避難しなくても大丈夫であろうと言う。俺は避難した方がよいと思うのだが、頑固親父は必要ないと頑なに主張する。

結局避難せず、自宅にて様子を見ていた。その間、日没に備えて懐中電灯やラジオを準備。さらに地震と津波の恐怖を助長するかのような天気。どんよりとした雲が空を覆っている。雨がポツポツと落ちてくる。

いよいよ、日没である。

普段電気を使った生活に慣れている。それ故にその電気がなくなるとかなり不便であり、電気の有り難味を実感する。石油ファンヒーターも電気がないと着火できない。電気がないと本も読めず、する事が何もない。そして、暖をとる事ができないため部屋で布団を被り大人しくしている。つまり寝るしかない。

ウトウトしながら、気が付くと夜が明けていた。

未だに電気は復旧していない。町の防災無線で給水を行なっているとの事。母親を連れて町役場へ。

実は当日(今日)俺は仕事が入っていた。給水を済ませ、足早に職場へ。職場も大混乱である。

今日の午後やっと電気が復旧した。職場であったが、迷わずテレビを付けた。

その時、我が目を疑うような光景が・・・

地震発生直後から停電していた為、テレビが観れなかったのである。
そして、改めてテレビを観て現状を把握したのである。
テレビでは岩手県宮城県で発生した大地震がマグニチュード8.8の観測史上最大の地震であり、津波による甚大な被害が出ているとの事。
ラジオでは少し情報を得ていたが、その現状を映像として観ると驚愕というか、信じられないという気持ちである。
そこに映し出されている映像はCGでもない。外国でもなく、紛れもない俺達が住む日本の現状そのものである。
死者、行方不明者、重傷者が多数出ている。
暫し放心状態でテレビを観ている。

仕事が終わり、帰宅すると自宅にも電気が来ていた。これでようやく暗闇から開放された。

しかし、今、日記を書いているが、この時も何度となく小さい揺れが襲っていている。

これほどの惨劇になる事を誰が想像したであろうか?また、昨日の朝は何事もなく無事一日がいつも通りに終わると誰しもが疑わなかったはずである。

自然の驚異とは恐ろしいとまざまざと見せ付けられた。

今、この時も自衛隊を初め多くの方々が救助に当たっておられると思います。本当にお疲れ様です。
そして、今も救助を待っている方々、安否を確認できずに不安になっている方々、がんばりましょう^^信じましょう^^皆様の無事を及ばずながらお祈りいたします。