第二回 慰霊碑慰霊塔の清掃と慰霊 太平洋戦没者慰霊公苑 | progj

第二回 慰霊碑慰霊塔の清掃と慰霊 太平洋戦没者慰霊公苑

12月18日、グアム島に慰霊塔、慰霊碑の清掃と慰霊に参りました。


ピースリンググアムの活動のひとつである慰霊と慰霊碑の清掃は


今年からグアム日本人会の年間行事として年2回


7月と12月に行われることになりました。


今回は第二回目です。



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木村総領事にもご参加いただき


日本人会からも沢山の方々がご家族と一緒に参加されていました。


日本からは遺族であるピースリンググアム松本代表とその家族


内藤副代表が参加しました。



太平洋戦没者慰霊公苑にて


日本軍の司令部があったここジーゴで平和寺と慰霊塔のお参りと清掃です。

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皆で手分けをして太平洋戦没者慰霊公苑の清掃をしました。


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平和寺は床を素足で歩けるほど綺麗になりました。


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慰霊塔前にて。塔は二つの手を合わせた合掌がモチーフになっています。



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慰霊塔にお供えします。


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グアム日本人会米山会長のご挨拶


慰霊碑のお参り、清掃して心清々し気持ちになりました。

日本人会は今までも参加してまいりましたが

今年から正式に年2回行事として参加する事になりました。

次回はもっと大勢参加できるように努めてまいります。


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ピースリンググアム高木会長のご挨拶


1944年2月高品中将率いる日本の関東軍約2万人は

満州、釜山から広島の宇品を経て

日本に寄りながらも秘密を守るという事で

日本に上陸できずグアムに来ました。

5ヶ月後の7月21日に5万人の米軍が上陸し

2万人の日本兵と戦い

日本軍は1200人を残し全滅しました。

サイパン約25000人、硫黄島では約20000人亡くなられています。

それぞれ映画になったりしてますが残念な事に

グアムは何ら表に出てこられないのはとても悲しいです。

せめて私達でも慰霊を行い、観光の方達にも色々な事を伝えていきたいです。


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ピースリンググアムジャパン松本代表の挨拶


グアムで18000人の方がなくなられて

遺骨は未だ約500柱しか日本に帰って来ていません。

先日の日経新聞によると遺族たちが70歳と高齢になったので

そろそろ遺骨収集をやめるような記事が出ていました。

とても残念な気持ちです。

本日は多くの皆様方に清掃お参りをしていただきまして

兵隊さん達も喜ばれていると思います。

先の戦いを風化させず次の代につなげて

平和な地球をつくっていく事が私達の大きな主旨です。

ぜひご賛同頂きまして末永く慰霊とこのような活動をして頂けますことを

心からお願いを申し上げます。


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慰霊塔の前にて集合写真。

50数名が参加してくださいました。とても感謝しています。



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ここは日本軍の最終指令部があった場所です。


司令官だった小畑中将はこの場所から日本に向けて

『わが身をもって太平洋の防波堤になる』と電報を打ち

自決したと伝えられています。


この一文には


『日本に残した家族、子孫の幸せのために』という

前置きの言葉があったそうです。


日本に残した家族、子孫の幸せのため=日本のためだったのでしょう。


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全員でお参りをして『ふるさと』を合唱をしました。

今もグアムに眠る18000余名の英霊の魂が日本に帰りますように。




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防空壕があります。

ここにも日本酒やお塩、御煎餅などをお供えしました。