ブログ、ふたたびはじめました | けいとが転職活動がんばってるってよ!

けいとが転職活動がんばってるってよ!

本気で転職活動に臨むため自分を鼓舞するためにブログをはじめました。
ときどき日常のこと思ったこととかもつづっていけたらなと思います:)

*いまはこのブログでビジネス的なもの(収入)は目指してないのでセミナー等の勧誘は大丈夫です

ひさしぶりに本当にひさしぶり(10年近い?)にアメブロに戻ってきた!

最近、改悪を爆走するTwitter(いまはXか)に疲弊し自分的にも急速にSNS離れが進んでいて、なんとなく「あ。ひさしぶりにブログでもやってみるか?」と初心に戻る感じで登録してみた。
ずっと140文字だけの世界だったから、どう書いたらいいのかとか伝えたい感情をうまく表現できる言葉が浮かばないとか「退化してるなー」とこれだけでも感じる(笑)

あとはタイトルにも入れてるけど自分のメインテーマである「転職活動」に本気で向き合うため。

まずは、なぜいままで本気で頑張ろうと思えなかったのか、この約11年のことをつづろう。

2012年に上京して、アルバイトではあったが念願だった業界にジョブチェンジできて毎日が充実してたし本当に本当に楽しかったし幸せだった。
どんなに毎日終電前の帰宅になろうが業務量が多かろうが、自分にとって「天職だ」と確信するほど大好きな日々だった。

でも、3年待たずに経営統合のあおりでリストラに遭いメンタルがズタボロになった。
これがトリガーだったのか、このあとも転職先でセクハラ・パワハラ等の厄災(1年半くらい)が続いた。

そのせいでさらにメンタルがやられ次へ進む勇気をどうしてももてず正社員でも契約社員でもなく、派遣で働くことにした。


派遣で働きはじめても、はじめは後遺症?なのか上司(めっちゃいい人だったのに)が怖くてうまくコミュニケーションがどうしてもうまくとれなかった。

それを当時の派遣の営業に相談したら心療内科等で診察を受けてみたらどうかとアドバイスされたので受診した。
診察結果は「適応障害」。でも先生は、「もうすでに環境を変えたのだから今は問題なく働いていけるよ」と。
その報告を派遣元の営業にしたら、次の日に派遣先の上司と派遣元の営業・その上司と私の4人で急きょ面談になった。
派遣先の上司は「少しの間(1週間くらい)おやすみしてまた復帰したらどうだろうか」と提案くださったが、派遣元の上司からは「明日からもう働かなくていい。今月の給与は保証するから」と一方的に契約解除された。
派遣先の上司からは営業2人のいないところで「こんなことになって申し訳なかった。でもあなたは(その職種の人)だし、適職だと思うから、よくなったらまたいつか一緒に仕事をしよう」とあたたかい言葉とともに送り出してくれた。
派遣元としては「なんの問題ない」のひとことが欲しかったので「適応障害」のついた「問題ない」私は欠陥だから切り捨てられた。


給与の保証も全額ではなく6割だけ。抗議したけど「法律で決まっているから」と。

行き違いに対するお詫びもなければ保証するだけありがたいと思えと言わんばかりの話し合いだった。
すごく悔しかったし、派遣先の上司にもすごく申し訳なく思った。

なによりもこんな情けない自分がすごくすごくイヤだった。たくさん泣いた。
生きるのが辛かった。いますぐにでも自分をやめたいと思った。自分は生きる価値がないと思った。
なんで自分ばかりこんな思いをしなければならないのか本当に辛かった。
それでも踏んばれたのはお母さんを悲しませたくないから。お母さんも育った環境が恵まれているとは言えない。
良好な関係じゃない時期もあったけど、お母さんを悲しませたくない気持ちがあったから。


そのあとすぐこの派遣会社から退会し(大手だが不信感だらけなので今現在も登録はしていない)、別の派遣会社で仕事を探すことにした。
この業界に身を置くことが自分の一番の望みだし、負けたくないという思いもあり同じ職種で仕事を続けた。
でも心は沈んだまま何も感じない。ただただ時間がすぎていくだけ薄暗い海底に横たわったままの毎日。
そんな状態が6年くらい続いた。でもこの状況を一変する派遣先に出会った。


この3年間が横たわったままの自分をまた海上に向かって泳ぎだす背中押しをしてくれた。
人間関係にも仕事量と内容にもものすごく恵まれ充実した時間のおかげでやっと暗黒から抜け出せた。本当に感謝しかない。
でも契約満了後、また1年半もったいない過ごし方をしてしまった。

派遣先から一方的に契約を切られたからだ。在籍した期間はたった3か月。
そこは自分がその業界を目指した原点の職種で未経験ではあったがポテンシャルを評価されたおかげでいい返事をもらえた。
上司には1から教えてあげると言われたものの、1か月してもほとんどその作業についてのOJTはなかった。
2か月目になってもほぼ仕事はないし、OJTもない。多忙で体調を崩しやすい上司だったから、自分なりにするべきことを考え本を読んだり過去のものを模写し勉強していた。


次回の更新の意向を聞かれ継続を希望したが、派遣先からは「その職種に対するセンスがないから契約はしない」と返事があったらしい。
ほとんど何も教わってもないし1、2度提出したものは配置とかの修正はあったものの、全体的にほめてもらった記憶しかないので「センスがない」って言葉にすごく傷ついた。悔しかった。
どうしてこんなにうまくいかないことばかりなんだと落ち込み、浮上ぎみだった心はまた海底深くに沈んだ。
そしてまた、流されるままに今日まできてしまった。

これが私の約11年間だ。
こうやって文字にし内観してみるとなかなかにヘビーモードな人生だなとあらためて思う(笑)
ではなぜいまこの段階で本気で就活に臨もうと思ったのか——。


ひとつは身を置きたい業界にはいるがあきらめたままこの先も生きていいのか? と疑問をもったから。
上京を決めたときのような大きなきっかけがあったわけじゃない。でもずっと自分は本当の意味で幸せだと思って生きてないと知ってたから。
もうひとつが年齢のことだ。
当然のことだが10年経てば年齢も10歳多くなる。この先も妥協で生きたら生きた分、年齢もプラスされる。

そして自分の最大の臆病はまさにこの「年齢」だ。
いまですら外から見たら奮い立つには遅い年齢かもしれない。
でも人によってその瞬間は違うと思うし、私にとっての瞬間がまさしく「いま」なのだ。
ハードルが高くなっていることももちろん自覚している。だから本気で転職活動をはじめる。

この先、近い未来にブログのタイトルを
「けいとが転職活動がんばってるってよ!」
から
「けいとが転職活動成功したってよ(≧▽≦)」
に変更できるように。

もし、このブログが誰かの目に留まり同じような思いを抱えている人がいるなら、少しでも踏みだす1歩のお手伝いができたらいいなと思う(もちろん逆も)。

 


A lot of happiness will come to you