水菓子さんに許可を頂きましたので

記事をリブログし、自衛隊を含めた現状の日本について

一沖縄県民としての考えを書いてみたいと思います

 

まず、最初にいくつかお断りしておきます

 

ここでは、水菓子さんの記事に記載されていた疑問の部分について

わたしなりの回答を書こうと考えています

 

そしてそれは、決して水菓子さんの考えへの

否定とか批判の意図は持っていません

 

水菓子さんが記事で呈された疑問は、

おそらく、多くの日本人にとってごく当たり前の疑問であり

いわゆる、ミギとかヒダリとかに傾倒したものではなく

ごくごく普通の方々が思っている疑問だと思っています

 

それに対する、一つの見解を返してみたいと考えています

 

そしてもう一点

 

沖縄が日本に復帰して半世紀が経過し、

沖縄もだいぶ「日本化」が進んでいます

 

普通に自民党支持者もいれば、

中国の脅威を訴え、防衛力強化などを訴える人も

かなり多くなってきています

 

ですので、これはあくまでも一個人の意見であり

沖縄を代表する意見ではないということをご承知おき下さい

 

 

 

前置きが長くなりましたが、

沖縄から見た自衛隊、沖縄から見た日本について書き始めます

 

まず沖縄からみた日本について考える際

琉球王国の存在というものが、大きな精神的背景になります

 

1872年から1879年のかけての「琉球処分」により、

沖縄県として日本に併合されるまで、琉球王国は独立した国家でした

 

それ以前、1609年の薩摩から侵略を受け、実質的には

薩摩の支配下に入っていました

 

現在、奄美群島は鹿児島県に含まれていますが、

それは薩摩の琉球侵略後、奪われたものとなります

 

日本人はおろか、当の鹿児島県民ですら

知らない人が多いと思いますが

沖縄県民の中には、わたしのように忘れていない人間も多くいます

 

たとえば、近い将来に日本が中国に軍事侵略され

中国領に編入されたと想像してみてください

 

10年後、30年後、50年後、歳月が経ったあと

みなさんはその歴史を忘れて、なんの疑問もわだかまりもなく

中国人として生きていけるでしょうか

 

沖縄では、想像の世界ではなく現実としてそれがあるのです

そのことを、沖縄県民の精神的バックボーンとして見ていただくと

少し理解が深まるかと思います

 

 

日本への編入後、沖縄が注目されたのは、

太平洋戦争末期の米軍進攻時でした

 

当然、沖縄でももれなく皇民化教育が行われ

米軍来寇の直前まで、帝国の勝利を信じて疑っていませんでした

 

そして、1945年4月1日米軍が沖縄本島に上陸し、

地獄の地上戦が始まります

 

その際、沖縄守備軍である第32軍は「戦闘」に関する計画は

綿密に立てていましたが、住民避難に関する計画は等閑に付されていました

 

結果、多くの沖縄県民は「無敵皇軍」を頼り、

日本軍の主力が集中する中南部から避難できませんでした

 

で、実際に何が起こったか

 

嘉数、前田、安里の抵抗線が次々に破られ、

当初想定にはなかった首里からの撤退後、

軍と住民が混在して逃げ惑う「本当の地獄が」出来したのです

 

映画の中、特にアメリカの映画の中では、

軍隊(アメリカ軍)は「悪」や「敵」から住民を守る

「正義の味方」として描かれることが多く、

そのためか、戦後の平和の中で生きてきた日本人も

「軍隊は住民を守るヒーロー」という幻想を抱いている人が

多いように思えます

 

ただし現実は、軍隊といえども人間の集団でしかありません

たとえば、刑事ドラマの刑事、警官と現実の警察が異なるように

あるいは、学園ドラマの教員と現実の教員が異なるように

映画の中の軍隊は、あくまでも創作として描かれているのであり

現実はまったく違うのだという事は、

大前提として認識する必要があると思います

 

実際、沖縄戦では軍隊は住民を守りませんでした

 

先述した住民の避難計画のお粗末さに加え

実際の戦場においては、彼らはまず自らを守るための

集団と化したのです

 

「わったーしーじゃんちゃーや、んないくさうてぃくるさったん」

 

これは本島中部訛りではありますが、普通の沖縄の言葉です

意訳すると、「我々の先輩方は、みな戦で殺されました」となります

 

わたしの曾祖母は標準語はほとんど話さず、

ほとんど沖縄方言で生活していました

 

戦前、戦中の年配の方にはそういう人が多くいましたが、

標準語をしゃべれない沖縄の人間を、

日本軍はスパイとして処刑しました

 

 

 

首里司令部撤退後、指揮系統も途絶しがちになり

追い詰められた敗残兵たちは、軍人から「ただの武器を持った人間」に

変貌します

 

最後に追い詰められた本島南部地方では、

先に避難していた住民を、日本兵が壕から追い払い、

追い立てられた住民は、その壕から半径数百メートルの範囲で

みな艦砲射撃にやられほぼ全滅した事例(証言)もあります

 

同じ壕内に避難していた住民の中で、「

赤ん坊の声が敵に見つかるから」と、赤子を殺させた事例

 

追い詰められ、投降しようとする人間を

兵士、住民構わず背後から銃殺した事例

 

捕虜になることを許さず、捕虜になったら男は全員殺され

女は全員凌辱されると脅し、自決用の手りゅう弾を渡して

住民にせまり(集団自決、集団強制死)

 

日本の軍隊は、自らの敗北の道連れとして多くの住民

(当時の人口の1/4にあたる約10万人)を殺したのです

 

「住民を殺したのは米軍だ」という意見もあるでしょう

 

では、殺しに来る米軍から住民を守るのは、

いったい誰の役割でしょうか

そもそも、米軍はなぜ沖縄にやってきたのでしょうか

戦争を仕掛けたのはどちら側(日本?アメリカ?)でしょうか

 

守る能力も意志もないのなら、日本軍が沖縄にいる意味はありません

 

結局のところ、国家防衛の観点から、

沖縄という戦略上の拠点「のみ」が必要だったのであり

そこに住まう住民(一応「日本人」)の命は、守る対象では

なかったということでしょう

 

これは蛇足ですが、

沖縄戦の前年、1944年10月のレイテ沖海戦の敗北により、

フィリピンの失陥と同海域の制海権喪失は確実となりました

 

結果、南方資源地帯から石油を運ぶシーレーンが遮断され

日本には石油が1滴も入ってこない状況となりました

 

石油がなければ近代戦は戦えません

戦車も軍艦も飛行機も、石油がなければ動かないのですから

 

つまり、その時点で日本の敗北は決定しており

それ以降の戦いは、ただ「軍のメンツを守るため」だけの

戦いということになります

 

満州の悲劇、広島・長崎の原爆被害、そして沖縄戦

それらはただ、軍がメンツを保っていたいがため、

ただの「悪あがき」の結果として惹起された

「無駄な犠牲」といえるでしょう

 

そして、そういう不都合を糊塗するために

靖国神社という存在や「英霊」という言葉が使われています

 

 

さて、沖縄戦では日本軍に見捨てられ、敗走時には邪魔者扱いされ

沖縄県民は散々な目に遭いましたが、不幸はそれだけでは終わりません

 

戦後、めでたく日本が復興していく中で、

沖縄は日本から切り離され、アメリカに「献上」されました

 

戦中に引き続き、戦後においても、日本から見捨てられたのです

 

米軍統治下においても、沖縄県民の苦難は続きました

 

米兵による事件事故が起きても、沖縄県民には司法権はなく

たとえ、警察が犯人を特定、逮捕しても、

身柄は米軍側に引き渡さなければなりません

 

幼女ひき逃げ死亡事故、小学生ひき逃げ死亡事故のほか

無数の強姦事件

 

いかなる凶悪事件の犯人も、裁判は米軍側にゆだねるしかなく

たとえ有罪判決を受けたとしても、本国送還後の処遇については

まったく関知できない状況です

※このように積み重なった不満はのちの「コザ騒動」につながっていきます

 

 

 

 

その時、沖縄県民の願いは、

一日も早い米軍(アメリカ)支配からの脱却と

日本への復帰でした

 

コザ騒動から2年後、1972年、念願だった日本復帰が叶います

 

「やっと、米軍支配の重圧から解放された」

 

その喜びは、無残に打ち砕かれました

 

米軍基地は相変わらず居座り続け

日米地位協定により米兵に対する「治外法権」も

ほぼそのまま残されたのです

 

沖縄は三たび、日本から捨てられました

 

 

そして現在、

先に書いた通り、復帰後は沖縄も「本土化」が進み

戦中はおろか、復帰前を知らない世代も増えてきました

 

沖縄を何度も捨て、今でも踏みつけ続けている日本の本流、

自民党も元気に存在しています

 

それでも、過去の歴史や戦中の記憶、

そして復帰前の現実を知っている人の心情からすると

米軍、日本軍、いずれも忌まわしい記憶であり

「守る」という言葉ほど、危険で白々しく聞こえる言葉はないのです

 

もしも、自分の祖父母や両親、

あるいは家族が誰かに殺されたと想像してみてください

 

犯人の子供、孫たちは反省し、同情してくれたとしましょう

ただし、その中の一部かが

「いつまでも昔のことをガタガタ言ってんじゃねえ」

と言ってきた場合、過去のこととして、素直に水に流すことができますか?

 

水菓子さんが疑問を呈しておられた、自衛隊に対する感情について

 

そこに心底からの反発を持つ人々がいること

その原因の大きな一つは、

この国があの戦争の総括をしていないことにあると思います

 

あの戦争(太平洋戦争)はなぜ起きたのか

どのような目的があったのか

最終的な戦略目標はなにか

なぜ負けたのか

開戦初頭の勝利から敗北に至るまで

その過程において何が起きていたのか

何を失い、何を得たのか

侵略や戦争犯罪について

そもそも、国として反省しているのか、

反省している場合、何に対して反省しているのか

 

過去を振り返って反省し、その教訓を生かした上で

新しい道を歩む

それが、すべての国民の共通認識として共有できていれば

自国の軍隊に対する反対運動も、そこまでのものにはならないと思います

 

わたしは、今のままの日本、今のままの自衛隊であれば

信頼する気には1ミリもなれません

 

天皇のための軍隊、国体護持のための軍隊、国を愛する軍隊

その意識の元で武器を持った日本人は、「住民は」守りません

 

わたしはそれを知っています