いつもありがとうございます!
プロエッジ鈴木です。
私は10名以下で運営している企業・組織の
経営者・社長がお持ちの
「人に関する」
問題や課題を
「チームの組織化」
「人材の最適化」
によって解決するお手伝いをしています。
私のサポートの結果は
「活気があり、適切な量のコミュニケーションがある
風通しの良い再現性の高い組織の構築」
「社員のやる気と生産性の向上による
現在行っているビジネスの売り上げ・利益の拡大」
「社長が実務から離れ、自社の未来を創造するための
緊急ではないが重要なことをする時間の増加
となります。
私は大学卒業後、就職し
こちらのブログでもご紹介の通り
ワコール、日本ペプシコーラ社などで
営業マンとして仕事をしていました。
その当時の私の趣味は競馬。
毎週週末には競馬場や
場外馬券売り場に足を運んでいました。
その当時の私は
仕事についてストレスはないけど
「本当に今のままでいいのだろうか?」
「自分の天職は?」
とか考えてみたり
その当時遠距離で彼女もいて
その彼女が東京に戻るとか・・
もしくはその仕事を辞めるとか
そんなことになったら
「結婚しようかなー」
なんて漠然と考えていました。
なんてことを思っていましたが
週末になると競馬予想に熱中していました(-_-;)
その競馬を楽しんでいたときに
読んでいたスポーツ紙に
掲載されていた講座の広告。
これが私の人生を大きく変えることになります。
「レースアナウンサー養成講座」
「レースアナウンサー?なれるのかな?」
「これで生活できる?」
「競馬関係者と仲良くなれる?」
「よくわからないけど、やってみる?
こんな調子でその講座に申し込み
勉強をスタートしました。
確か30万ほどしたと思いますが(^-^;
そんな調子ではじめたのですが・・・
なんと?!
やればやるほど面白くなり、
その講座の講師をされたアナウンサーの方とも
仲良くなり、個人レッスンなどしていただいたり
真面目に毎週競馬場に通って
「実況」
の練習をしたり
毎日撮りためた
競馬のレースのVTRを
見て実況の練習をしていました・・・
そして競馬関連の放送局や関係者の集まる
オーディションにも2度参加することができました。
ただ!!現実はとても厳しかったです。
そのオーディションには
現役の有名名門大学の学生も参加していて、
その学生の実況と言ったら、それはもうプロ並み(*_ _)
下手すると現役の実況アナより上手い?!
くらいのレベル。
残念ながら私はどの会社からも声がかからず
競馬実況の仕事はあきらめることにしました。
とは言え、お金も時間も結構使いました!
「なんとかして授業料を回収したい」
「せっかくしゃべりを学んだのだから、
これを仕事として生かしたい」
と思い、サラリーマンをしながら
何かしゃべる仕事で稼げないかな~
なんて思っていたところ・・・・
出会ったのが
「ウェディング・披露宴司会者」
の仕事だったのです。
そこから改めてアナウンス学校が
主催するウェディング・披露宴司会者の養成スクールに通い、
オーディションを受け
さらに事務所主催のスクールで勉強をし
今の司会事務所「株式会社プロス」の一員に
なったのが今から20年前。
サラリーマンやりながら
週末の副業として
2000年の6月に
プロ司会者としてデビュー
これが司会の仕事を
始めることになった経緯です
「競馬」から「ウェディング・披露宴」の世界へ(^-^;
ですからかなり珍しいケースかと思います。
しかも私「結婚式」に呼ばれるのが
「大嫌い」
だったのです(-.-)
2次会とかはゲームがあったり
立食で気楽で良いのですが
大学の同級生や職場の人たちの
披露宴に呼ばれても
大体いるメンバーは一緒で
あんまり楽しくない・・・
なんて思ってました。
その当時は
「キャンドルサービス」
で新郎新婦がテーブルを回ることが
多かったですから
よく自分たちのテーブルのキャンドルの先を
水で濡らしていました(>_<)
ひどいゲストでした(^-^;
そんな結婚式嫌いの
私が「ウェディング・披露宴の司会者」
になったのは
「勉強したことで何とか稼ぎたい・・・」
と言う極めて
不純な動機( ;∀;)
それが20年以上も続いて
1000件以上の司会を
することになるとは・・・
最初は3年やって150万くらい
ギャラをもらったら辞めようと
思っていましたから・・・
わからないものです。
そしてこの世界で
本当に、本当に
多く事を学ぶこと、得ることになります。
この続きは来週の
【週末の読み物で】
今日も最後までお読みいただき
ありがとうございました!
プロエッジ
鈴木雄一朗
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