東京リビングストーン教会礼拝説教
主題:真の礼拝者


こんにちは。今日の本文はヨハネの福音書4章です。有名なサマリアの女の箇所であります。人生に飢え渇いていたサマリアの女は、決して乾かない水であるイエス様と出会い、人生が変えられます。彼女の大いなる救いの中で、今日は20節~26節の、箇所を中心に恵みを分かち合います。真の礼拝者とは何でしょうか?今日の本文20節~21節をお読みしましょう。

4:20わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。4:21イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。

サマリア人は当時、ゲリジム山と呼ばれる山で礼拝をしていました。またユダヤ人はエルサレムの神殿で礼拝を捧げていました。しかし、正しい礼拝とは、場所の問題なのでしょうか?違います。サマリア人は場所を問題にしていましたが、サマリアだから間違っている、エルサレムだから正しいということはないのです。イエス様が言われたように、サマリア人は、知らないものを礼拝してました。

4:22あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。
とあります。彼らの霊的な目は閉ざされていたのです。

今も多くの人々が、このサマリア人達と同じように『知らないもの』を礼拝しています。人間の心の中には、霊的な存在を求める心があります。『人間の心の中には神様が作られた空洞がある』とパスカルは言いました。人間は霊的な存在です。そして、目に見えない存在を追い求めます。しかし、多くの人々は、礼拝する対象を間違えています。ある人々はお金が人生の全てです。この人々はお金を崇拝する人々です。ある人々は自分自身の力のみに頼って生きています。彼らは自分自身を崇拝しています。また、ある人々は、特に日本では間違った霊的な存在を礼拝しています。一年の初めに神社で神々を礼拝し、願い事を訴えます。しかし、真の神を礼拝しないならば、それは悪霊崇拝へとつながります。日本は八百万の神々を礼拝していますが、それは真の神でも、神の霊でもありません。
では、クリスチャンはどうでしょうか?日曜日、教会に来られた皆さんは、本当に幸いな人々です。しかし、教会で礼拝をささげれば、それで大丈夫ですか?主に対する悔い改めも、感謝もなく、ただ何となく教会の椅子に座って御言葉を聞いて、それで主に礼拝を捧げたことになるのでしょうか?教会で礼拝を捧げる事は非常に大切です。しかし、建物の中にいることで満足して、心が伴わないならば、それは真の礼拝にはなりません。

旧約時代のユダヤ人たちは、エルサレムには神殿があるので、モーセの神の箱があるので、絶対に戦争に負けないと信じていました。彼らは神の神殿がエルサレムにあるということで、神がエルサレムを守ると信じていました。しかし、人々の心は堕落し、偶像崇拝に陥り、罪を犯し続けていたのです。

主はバビロン帝国を通して、エルサレムの神殿を破壊しました。そしてエルサレムの人々を捕虜にしました。彼らが頼りにしていた神殿は無残にも壊されたのです。
私達はどのような歩みをしているでしょうか?主なる神様以外のものを頼りにしているならば、主はそれを打ち砕かれます。日本は科学技術を頼りにして来たでしょうか?主はそれを砕かれます。日本は経済力を頼りにしてきたでしょうか?主はそれを砕かれます。昨年の東日本大震災は、日本が頼りにしてた科学技術、文明の力がことごとく無力であることを証明した出来事でした。神のなさる業の前で、人間は何もすることができません。私達が信頼し、礼拝すべきは主のみであります。私達の生活から、主以外により頼む心を取り除きましょう。そして、三位一体なる神様を真に礼拝する私達になることを願います。

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