リビングストーン教会礼拝説教
主題 内にある喜び
お金や、社会的な立場や、人間関係に喜びを求めます。しかし、本当の喜びはイエス様の中にあります。クリスマスは一年に一度です。しかし、私達は毎日ごとに、クリスマスの喜びを味わう必要があります。なぜなら、喜びこそクリスチャンの力だからです。クリスチャンが主の中に喜ぶことは、どんなキリスト教の論理や、知識や、言葉の巧さにも勝るものです。主を喜ぶ人が偉大な伝道者です。その人の喜びが、神様との関係を証ししているからです。どうか、私達がクリスマスに思う喜びが、一年365日、日々心に満たされることを願います。私達の生活には日々、主の喜びがあるでしょうか?
To do ではなく、To be
クリスチャン生活は、To doではなく、To beです。私が何をするか、ではなく、私がどういう存在かが大切です。もし私達の生活が日々、To doに目を向けるなら、神が与える喜びはすぐに弱くなり、消えてしまうでしょう。なぜなら、私達の罪の故に、私のすることはいつも神を喜ばせることができないからです。だから、クリスチャンとして何をするかという事が最高の関心事になるなら、喜びはすぐになくなります。
そうではなく、私達がキリストにあって、誰であるか、どんな存在か、To beこそが大切なことです。私は、キリストにあって神の子です。私が何かをしたからではなく、イエス様が地上でなされた全ての働きのおかげで、私は神の子です。私の働きのおかげで神の子ではなく、キリストの働きのおかげで、私は永遠に神の子とされていることを悟る時、神が私にとって永遠に父親である事を悟る時、それが変わらない喜びの源になります。その喜びは、全ての人々に等しく、平等に与えられています。なぜなら、私達に与えられたイエス様は、同じイエス様です。ヨハネ3:16にあります。「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。」イエス様は私に与えられました。私個人に与えられた最高のプレゼントです。その方が全ての喜びの源です。私達は毎日、喜びで満たされたいでしょうか?それならば、私達は日々、自分が何をするかを考えるよりも、イエス様が私に何をして下さったのか、私に今、何をして下さっているのか、そして、これから、何をして下さるだろうかを考えましょう。私がしたこと、今していること、これからするであろうことには、本当の喜びはありません。イエス様がしたこと、今していること、これからするであろう事にこそ、本当の喜びがあります。毎日、イエス様から目をそらさないことです。日々、イエス様を最高の喜びの源として生きる私達になることを願います。
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