東京リビングストーン教会礼拝説教

主題 弱さを超えて働かれる神


ペテロは、このゲッセマネの出来事まで、イエスに死に至るまで従う情熱に満ちていました。しかし、今日の本文は、人間の肉の力や情熱は、霊的な試練の前で役に立たないことを示しています。ペテロは自分自身の力により頼み、神に従い通せると錯覚しました。しかし、今日の本文で、祈りに失敗し、その直後に、イエスを三度否定することを通して、ペテロの人間的な情熱は崩れ去り、人間の肉の力に頼る従順は挫折することを明らかにしました。これが人間の力の限界です。しかし、そこで私達は落胆するべきではありません。

だからこそ、私達は神に祈るべきです。
神に祈るという行為は、人間の力の限界を謙遜に認め、日々、神の力により頼むことを意味します。ペテロの弱さは人間の弱さであり、自分自身の力に頼る者の限界を表しています。神は私達にあらゆる生活の現場において、人間の力の無力さを示されます。それは、私達が自分自身に対して絶望することを願ってのことではありません。神は私達が、自分自身ではなく、神ご自身にのみ希望と信頼を置き、より頼むように願っています。それが、『祈りを学ぶ』ことです。

祈りを学ぶことは、人間の知識、知恵、経験、努力の限界を認め、日々、真の砦であり救いの岩であるキリスト、主なる神に信頼し、祈りを通して神に頼るようになるプロセスです。

ペテロは最後の晩餐、ゲッセマネの事件から始まる一連の出来事を通して、自分自身の肉の弱さを痛感したはずです。それが、自分に対する絶望ではなく、神のみに対する希望へと昇華したことを私達は知っています。神はこのようにして、私達の肉の弱さを明らかにすることを通して、神の霊の強さを示されます。

41イエスは三度目に戻って来て言われた。「あなたがたはまだ眠っている。休んでいる。もうこれでいい。時が来た。人の子は罪人たちの手に引き渡される。42立て、行こう。見よ、わたしを裏切る者が来た。」

イエスは弟子たちを起こされました。ペテロはイエスの命令に従うことができず、三度居眠りしました。三度、自らの肉の弱さ、主に従えない弱さを示されました。この後、逮捕されたイエスを三度否定することを通して、更に、ペテロは自らの弱さを明らかにされます。それは辛いことだったかもしれません。しかし、42節でイエスはペテロたちに『立て、行こう』と命じられました。人間的に役に立たない弟子達であったことはイエスご自身が良くご存じでした。

しかし、自分自身の弱さを悟り、そして神のみに頼る弟子たちになることを願いながら、イエスは次なる場面、ユダによる裏切りの成就と逮捕へと歩みを進めようとされています。これらの苦難を通してさえも、イエスは弟子たちを教え導こうとしています。

主は私達の人生全てを学びと訓練の場として用いて下さり、更に主により頼み、王の系統を引く祭司として、イエスのようにアッバである父なる神と親しく交わり、神の御心を悟り、それに自らを合わせ、執り成しの祈りを捧げる者として歩むように願っています。私達一人一人が、イエス様が導かれた弟子たちのように、多くを学び、ますます主に従う一人一人になることを願い、祈る者になりましょう。


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