東京リビングストーン教会礼拝説教
神の御心に至る道


次に、祈りとは、自分の願いを神の御心に近づけていくためのプロセスだと言えます。
神の御心が行われるということは、この世界において最善のことが成し遂げられるということを意味するからです。しかし、私達は神の御心の実現ではなく、自分の願いの実現を求めることがどれほど多いでしょうか。最初の人間アダムは、神の御心を追い求めることではなく、自分の願いを追及することが人生の道だと誘惑されました。

創世記3:5それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」 

神のようになるならば、自分の願いが「神の御心」になるはずでした。しかし、結果は悲惨の始まりでした。神との親しき交わりの他に、クリスチャンに与えられた祈りのもう一つの目的は何でしょうか?それは、神の御心を悟り、自分の願いを神の御心に近づけていくことです。

葛藤と悩みの理由
多くの人々が人生において葛藤し、悩むのは、神の御心が分からないからです。また、神の御心を悟ったとしても、人間の本性的な罪性のゆえに、自分の心を神の御心に合わせることができないことから生じます。結果として、神の御心とずれた自分の願いを追及しながら、クリスチャンでありながら、さ迷う信仰生活を送るようになります。

祈りは神の御心に至る道
だからこそ、祈りとは、霊的に暗く弱い私達が神の御心を悟るため、そして、自分の頑なで自己中心的な心が、神との交わりを通して、神の御心に従うように変えられていくためのプロセスです。人間同士も、交わりを通して相手の本心を悟り、、また互いに影響し合いながら、相手によって変えられていきます。私達は神との親しき交わりを通して、神の本心を悟り、また神の霊の感動を通して、神の御心に適うように変えられていく私達になることを願います。

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