リビングストーン教会礼拝説教
主題:目が開かれる
今日のパウロの証は救いの証し、回心の証しでした。それでは、クリスチャンができる証しはそれだけでしょうか?クリスチャンになって何年たっても、信じた数年前、ある人は十年以上前の話をするべきでしょうか?そうではありません。パウロのメッセージはそれが、一番劇的で、インパクトある救いだったからです。私達の信仰生活はどうでしょうか?私達がクリスチャンになって何年たったとしても、自分の停滞した信仰生活、いつも通りの安定した信仰、そこに主を信じて愛する喜びや感動が薄れてきているとするならば、主はそのような私達の信仰生活を再びスクラップアンドビルドして下さると信じましょう。それがリバイバルです。それは今日起きても良いんです。それが私達が願うべきリバイバルです。リバイバルは再び命を得ることです。私達に必要なことは、日々イエス様と出会うことです。イエス様と出会って、今までの凝り固まった固定観念や生き方が壊されて、新しく作り直されることです。それはイエス様を信じた後でもなお、続けて起こるべきことです。既にイエスを信じた兄弟姉妹は、長い年月信仰生活を送る中で、クリスチャン生活なんて、こんなものだなと思ってはなりません。私の能力、私の賜物、私の環境から判断して、私のクリスチャンとしての人生はこういう風に続いていくんだなと、思ってはなりません。主は私達の信仰生活を日々、破壊し、新たに立て直して下さるお方です。私達にはそれを信じる信仰が必要です。主はまず、私達の日々の信仰生活の中に、リバイバルを与えて下さり、新たな命と活力を吹き込んで下さると信じましょう。そのような兄弟姉妹が次々と起こされる中で、教会がリバイバルされ、この東京と日本が霊的に作りかえられていくと信じましょう。パウロのイエス様との出会いは、回心のその時だけではありません。常にイエス様との出会いの中で、パウロは日々変えられて行きました。日々、神について知るようになりました。それがローマ信徒の手紙やガラテヤ信徒への手紙のような、世界中のクリスチャンに霊的なリバイバルをもたらしたような手紙を書く原動力になりました。すべては、イエス様との日々の出会いです。それを通して、私達の古い人生が壊され、日々新しい人生へと変えられて行くことです。私達クリスチャンの人生は、例えて言うならば、古い昔ながらのビルと、新しく建てられたビルが共存している都市のようなものです。古く老朽化したビルは壊され、新しいビルにとって代わられるべきです。それがイエス様を信じたクリスチャンの人生の中で起きていることです。主は偉大な破壊者であられ、創造者です。主イエス・キリストが私の人生に日々介入して下さり、古い罪の性質を破壊し、新しい神の子としての性質へと日々変えて下さることを期待し、その変化と恵みをしたい求め、祈り求め、リバイバルに期待する私達になりましょう。そういう、今までの流れで生きているクリスチャンの人生をもひっくり返して欲しいと願います。
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