高田馬場リビングストーン教会礼拝説教
主題:ユダヤ人エリート、パウロ


まさに、今日の本文において、パウロこそ、ミスターユダヤ教であることが分かります。彼はユダヤ教のサラブレッドであり、エリートです。彼はユダヤ教の偉大な教師であるガマリエルの弟子でした。彼はマンネリズムに陥っていたわけでも、形式主義でもありませんでした。情熱的にイスラエルの神を信じ、イスラエルの神が喜ばれるために最善を尽くそうとしました。だからこそ、ユダヤの神礼拝の習慣を変えようとしたナザレのイエスとイエスを信じるクリスチャンたちを迫害しました。それこそが神によろこばれると思いました。しかし、パウロの人生もまたスクラップアンドビルドされました。それが彼の今日の証しです。

パウロは今までも熱心な信仰者でした。しかし、パウロはイエス様に出会って変えられました。そして、その情熱が新たな段階へと引き上げられました。彼はさらにイエスの与えられた使命のために生きる者へと作り替えられました。
御心を悟らせ、あの正しい方に会わせて、その口からの声を聞かせるためです。15あなたは、見聞きしたことについて、すべての人に対してその方の証人となる者だからです。16今、何をためらっているのです。立ち上がりなさい。
主はパウロに使命を与えました。それは、見聞きしたことについて、すべての人に対してイエスの証人になることです。すべての人です。ユダヤ人だけではなく、ギリシャ人にもローマ人にも、未開の部族に対してもです。
だからこそ、パウロはローマ信徒への手紙1章において、
1:14わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。
と言いました。パウロはイエス様と出会い、今までとは違う人生へと変えられたのです。それは一度だけではありません。パウロは日々主の中で変えられて行きました。それは私達の人生にも同じくいえることです。
私達が変わるのは、イエスを信じた最初の時だけでしょうか?そうではありません。私達の罪ある人間性は、どんなにか、すぐに老朽化し、罪に汚れ、そして新鮮な喜びと感動を失ってしまうものでしょうか?クリスチャンとしての経験や年数は関係がありません。私達の信仰生活、私達の考えは常に主の前で古臭く、無感動で、無気力になっていきます。主イエス様はそのような人々の無感動と無気力を壊し、新しい人として日々作り上げるために来られました。イエス様こそが、真のスクラップアンドビルダーです。私達の罪になれた信仰生活、習慣を完全に破壊して下さいます。そして、復活の命により、新しい人生を生きるように助けて下さいます。パウロがパウロの使命の道を歩むようにされたように、私達一人一人にも、主が与えた計画と目的のために、神の国の栄光のために、用いようとされる計画があることを信じましょう。

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