リビンストーン教会礼拝説教 主題:弁明の意味

1. 弁明の意味。弁明の大切さ。Apology, Defenseと言います。 クリスチャンにとって、弁明とは何でしょうか?必要に駆られて説明することです。誤解や偏見を取り除くことです。人々に自分のしていることが間違っていないことを論理的に明らかにすることです。そういう点でクリスチャンにとって、私達の存在自体が、弁明であることを覚えなければなりません。なぜ自分が今の自分であるのか、弁明するということです。弁明は主に法廷で使われる言葉である。自分のしたこと、自分の考えていること、自分がこれからしようとすることに関して話す必要があります。 私達がクリスチャンとして、生きているならば、必ずそのような機会が訪れます。訪れないほうがおかしいはずです。なぜなら、私達がクリスチャンとして生きているならば、必ず世の中の生き方と何かが違って来るはずだからです。当然、人々は不思議に思うでしょう。世の人々と共に生活し、その中で人々と何かが違うならば、それが私達がクリスチャンである証しです。人々は私達に質問するだろう。その時に愛をもって、誠心誠意答える必要があります。 一ペテロ3:15心の中でキリストを主とあがめなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を要求する人には、いつでも弁明できるように備えていなさい。3:16それも、穏やかに、敬意をもって、正しい良心で、弁明するようにしなさい。そうすれば、キリストに結ばれたあなたがたの善い生活をののしる者たちは、悪口を言ったことで恥じ入るようになるのです。 いつでも備えていましょう。説明を要求する人々が必ずいます。今までもいたでしょう。これからもいるでしょう。それが私達に与えられた伝道のチャンスであると信じます。   2. クリスチャンの弁明の内容 22:1からは、パウロの弁明の内容が語られています。 22:1「兄弟であり父である皆さん、これから申し上げる弁明を聞いて下さい。」2パウロがヘブライ語で話すのを聞いて、人々はますます静かになった。パウロは言った。3「わたしは、キリキア州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そして、この都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。4わたしはこの道を迫害し、男女を問わず縛り上げて獄に投じ、殺すことさえしたのです。5このことについては、大祭司も長老会全体も、わたしのために証言してくれます。実は、この人たちからダマスコにいる同志にあてた手紙までもらい、その地にいる者たちを縛り上げ、エルサレムへ連行して処罰するために出かけて行ったのです。」 ここで強調されているのは、自分はユダヤ人たちと何も違わないということです。私は生まれながらのユダヤ人です。そして熱烈なユダヤ教徒です。皆さんと同じように、クリスチャン迫害をしていたものです。これは初めてパウロのことを知るユダヤ人にとっては驚きだったでしょう。私達もそうですが、ある人がクリスチャンであるという時に、まるで生まれた時からそうであるかのようによく考えるものです。最初からイエス様を熱烈に信じて、最初からイエス様を伝えようとしていたと思うでしょう。私はどうですか?ここにはイエス様を信じる人も、信じない人もいますが、私はキリスト教がかつて大嫌いでした。 (自分の話)これはインパクトがあると思います。 私もかつてノンクリスチャンであった。私もかつてはキリストを信じられなかった。聖書なんてなんのことか何も分からなかった。しかし、なぜ今、信じているのか、なぜ今、キリストを伝えているのか?どのように信じたのか、それを弁明することがクリスチャンの責任であり、特権であり、喜びです。 人間にとって、大切な人との出会いを語ることは嫌いではないでしょう。世の中でも夫婦にインタビューする時に、『二人はどのように出会い、知り合い、互いに愛し合うようになりましたか?』と話すでしょう。それを嫌がる人はいないと思います、むしろ喜びではないでしょうか?同じように、私達を愛して下さるイエス様との出会いを語ることは喜びであって苦痛ではありません。

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