高田馬場リビングストーン教会礼拝説教
主題:教会の一致のために

パウロがここで考え、目指しているのはもっと深いことです。それは、彼が伝道して生まれた異邦人の教会と、エルサレムのユダヤ人の教会とがしっかりとつながって、両者の間によい交わりが生まれて欲しい、ということを意味します。パウロは、主イエス・キリストによる救いの恵み、福音が、ユダヤ人のみに与えられているのではなく、主イエスを信じる全ての人々に同じように与えられていることを固く信じています。主イエス・キリストによって神様は新しいイスラエルである教会を興して下さり、そこに、ユダヤ人のみでなく、どの民族の者でも招いて下さっている、ただ主イエス・キリストを信じることによって異邦人も救いにあずかり、キリストの体である教会に加えられる、それがパウロの宣べ伝えていた福音でした。しかしこのことは、ユダヤ人のクリスチャンたちにはなかなか受け入れられませんでした。ユダヤ人たちは長年、自分たちこそが神様の民であるという強い自負を持ってきました。それゆえに主イエスをキリストと信じた後も、割礼を受け、律法の定めに従ってユダヤ人としての生活をすることが救いにあずかるためには絶対に必要だ、という思いからなかなか抜け出すことができなかったのです。それゆえに、パウロの伝道によって生まれた異邦人の教会と、エルサレムのユダヤ人の教会との関係は、必ずしもうまくいっていませんでした。使徒言行録の第15章には、異邦人が主なメンバーだったアンティオキアの教会に、エルサレムからユダヤ人の信者がやって来て、「あなたがたも割礼を受けなければ救われない」と言ってパウロらと激しい対立が生じたことが語られていましたが、そこに現れているのはそういう問題です。使徒言行録は15章で、使徒会議が行われてそこでこの問題が円満に解決したように語っていますが、実際にはそんな簡単には行かず、むしろパウロを指導者とする異邦人の教会とエルサレムのユダヤ人の教会とがそれぞれ独自に歩んでいくような状態が続いていたと思われます。
しかしパウロは、そのままでよいとは思っていませんでした。異邦人の教会とユダヤ人の教会が一致して、手を携えて共に歩むようにならなければならない、という思いを強く持っていたのです。そのことを実現するための一つの手段が、異邦人キリスト者たちからのエルサレム教会のための献金です。彼はこの献金の業を通して、異邦人の教会とユダヤ人の教会との一致、交わりを確立しようと願っているのです。その思いが、コリントの信徒への手紙二の第9章12~15節に語られています。

Ⅱコリント9:12なぜなら、この奉仕の働きは、聖なる者たちの不足しているものを補うばかりでなく、神に対する多くの感謝を通してますます盛んになるからです。9:13この奉仕の業が実際に行われた結果として、彼らは、あなたがたがキリストの福音を従順に公言していること、また、自分たちや他のすべての人々に惜しまず施しを分けてくれることで、神をほめたたえます。9:14更に、彼らはあなたがたに与えられた神のこの上なくすばらしい恵みを見て、あなたがたを慕い、あなたがたのために祈るのです。9:15言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します。

この奉仕の働き、つまり献金によって、エルサレム教会の人々が、異邦人の教会に与えられた神様のすばらしい恵みを認め、また彼ら異邦人の信者たちがキリストの福音に忠実に生きていることを知り、神様をほめたたえ、そして異邦人の教会の人々のことを好意をもって覚え、彼らのために祈るようになる、そういう交わりが両教会の間に生まれることを彼は願っているのです。
日韓の教会の連合のために。

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