高田馬場リビングストーン教会礼拝説教2016.7.31

主題:パウロの覚悟

 本日の箇所には、地中海を東へ航海したパウロが、シリア、パレスチナに着いてからいくつかの町に立ち寄り、そこでキリストを信じる仲間たちとの交わりを持ったことが語られています。まずティルスです。パウロらはそこに七日間滞在したとあります。次に彼らが立ち寄ったのはプトレマイスです。そこでは兄弟たちに挨拶し、彼らのところで一日を過ごしたとだけあります。そしてカイサリアです。どの町でも、パウロらは信仰の仲間たち、兄弟たちとのよい交わりを与えられています。けれども、その交わりの姿を通して使徒言行録が語っているのは、エルサレムに上ろうとしているパウロの強い覚悟です。ティルスでも弟子たち、つまり信者たちが、エルサレムへ行かないようにと繰り返し言いましたが、パウロは彼らを振り切って旅を続けました。カイサリアでも同じことがさらに詳しく語られています。パウロは13節で「泣いたり、わたしの心をくじいたり、いったいこれはどういうことですか。主イエスののためならば、エルサレムで縛られることばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しているのです」と言ってエルサレムへと出発したのです。

フィリポ執事:ところで、カイサリアにおいてパウロは、福音宣教者フィリポの家に滞在した、と8節にあります。この人は、「例の七人の一人」と言われています。それは第6章で、使徒たちを助け、貧しい者たちへの援助の業に携わるために選ばれた七人の人々の中の一人、ということです。その七人の筆頭にが挙げられているのは、その後最初の殉教者となったステファノです。その次に名前をあげられているのがこのプィリポです。このフィリポについては第8章で、サマリアの町々で伝道をしたこと、そしてガザへと下る道で、エチオピア人の宦官を導き、洗礼を授けたことが語られていました。つまりまさに「福音宣教者」としての働きをしていったのです。8章の終わりには彼がカイサリアまで行ったとありますから、その後はカイサリアに留まり、そこで伝道をしていたのでしょう。カイサリアに到着したパウロはそのフィリポの家に滞在したのです。ステファノにしてもフィリポにしても、このように力強い伝道の働きをしたことが語られています。しかし彼らはもともとは、教会における貧しい者のための奉仕の働きへと選び出された人たちでした。そのために選ばれた者たちが、次第に伝道においても豊かな賜物を発揮していったのです。

 このことから私たちは、教会における奉仕について深く考えさせられます。つまりあの第6章の記述においては、祈りと御言葉を語るための使徒たちの働きと、貧しい人々への援助という物質的な面での奉仕の業とは区別されているように見えますが、ステファノやフィリポのその後の歩みを見るならば、両者は決して切り離されてはいないということです。言葉を宣べ伝える働きと、物質的な面での奉仕とは、切り離すことができないのです。そのどちらもが、教会の本質的な働きなのです。第6章において使徒たちとは別に物質的な奉仕の担い手が立てられたのは、その働きを教会の業としてしっかりと行なっていくためです。み言葉がしっかりと語られると共に、弱い者、貧しい者への援助の働きもしっかりとなされていく、そのことを、生まれたばかりの教会は既に目指していたのです。それは、全く別な二つの課題を両方担おうということではありません。物質的な面での奉仕が、み言葉と切り離されて独り歩きしていくなら、その奉仕は歪んでしまい、本当に人を支え、慰め、力づける働きにはならないのです。また言葉を語る働きが、奉仕と切り離され、奉仕なしでただみ言葉を語っているだけになっていくならば、そこには、本当に言葉に従って生きる者たちの群れ、共同体がこの世の現実の中に築かれていきません。言葉が語られることと具体的な奉仕とは一つであり、どちらを欠いても他方がきちんと成り立たなくなるのです。

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