高田馬場リビングストーン教会木曜礼拝2016.7.28

主題 新しい心を与える

申命記を書いただけではなく、『創世記』をも書かれたモーセは結婚についてこう言及している。創世記1:27神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。創世記2:24こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。 この本文を用いて、イエス様は6-8節で本来の結婚の意味を語られた。10:6しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。10:7それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、10:8二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。 申命記24章の離婚の条件と、創世記の本来の結婚の意義をどのように折り合いをつけるべきか?神の御心はどちらだろうか?・未だに私達の心の中には頑なさという罪がある。それゆえに、申命記24章を未だに私達の生活に適応するべきだろうか?または、・キリストはメシア、救い主として来られた。神の子がこの世に来られたのは、人々を召し出し、十字架の死により罪の贖いを成し遂げ、人々を信仰によって神と和解させ、一つに結びつけ、神の民、神の子、キリストの花嫁として受け入れることを通して、神がはるか昔からの神の民への契約を守られることを通して、結婚の意味を明らかにすることだろうか?教会という神の民の中に未だに罪やかたくなさがあることを通して離婚を認めるべきだろうか?それとも、Ⅱコリント5:17を通して、私達は新しい民として、心が新しくされた者として、本来の結婚の姿に立ち戻るべきだろうか? Ⅱコリント5:17だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。 エゼキエル36:26わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。36:27また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。(説教:小倉隆志牧師)

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