リビングストーン教会礼拝説教2016.7.31


聖書本文 使徒言行録20:1〜16
主題 慰めを下さる神への信仰
Ⅱコリント1:3わたしたちの主イエス・キリストの父である神、慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。1:4神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。1:5キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。1:6わたしたちが悩み苦しむとき、それはあなたがたの慰めと救いになります。また、わたしたちが慰められるとき、それはあなたがたの慰めになり、あなたがたがわたしたちの苦しみと同じ苦しみに耐えることができるのです。

ここで、私達はパウロ達や、初代教会のクリスチャン達が常に、日々直面した苦難の意味を考えることができます。この世の人ではない、クリスチャンだけが理解できる、苦しみと試練の意味があります。それは、苦難や試練は『神からの慰めを頂く大いなるチャンス』であるということです。

私達の一週間を振り返り、落ち込みや落胆はあったでしょうか?多かれ少なかれ、落胆や不安は生活において常にあるものです。しかし、主は苦しみや悲しみがあるからこそ、主の慰めがその人を満たすことができると言います。つまり、この世のむなしく、はかない喜びや感謝ではなく、永遠の神との関係こそが、真の喜びと感動になってくれるということです。常に不安や恐れはやって来るでしょう。しかし、私達は、主なるイエス・キリストは私達の弱さに同情できるお方であることを知っています。

ヘブライ4:15この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。


主こそが私達のすべての弱さに同情することができる、慰めと励ましの源であります。主もまた私達と同じようにすべての苦難にあわれたからです。しかし、主は全ての試練と苦難、誘惑に勝利しました。私達は今、主が私達の代わりに誘惑と試練に勝利した、その勝利を信仰により頂いていることを感謝します。
私達は未だに弱さがあります。しかし、主はただお一人で、弱い私達に代わり、私達のために試練と誘惑に勝利したかたです。イエス・キリストを信じるということは、キリストが33年間の人生で、十字架の死に至るまで従順して、罪と誘惑に勝利したその勝利が自分のものになることを信じることです。クリスチャンは自分が勝ち得た勝利ではなく、キリストが勝ち得た勝利を日々握りしめて生きる者です。ここに、喜びと慰めの源があると信じます。

続けて3節を見ると:ユダヤ人の陰謀とマケドニア経由でのトロアスまでの帰還(3-6節)があります。

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