リビングストーン教会礼拝説教2016.7.31
聖書本文 使徒言行録20:1〜21主題 悔い改めを通した励まし
テトスやコリント教会の悔い改めを通した励まし
Ⅱコリント7:6しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、テトスの到着によってわたしたちを慰めてくださいました。7:7テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、そうしてくださったのです。つまり、あなたがたがわたしを慕い、わたしのために嘆き悲しみ、わたしに対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、わたしはいっそう喜んだのです。
ここには、二つの慰めが書いてあります。一つは単純にテトスと再会できたという慰めです。もう一つ大事なことは、テトスが手渡したパウロの手紙を通して、コリントの人々が悔い改めたという知らせを聞いたことです。それはまさにグッドニュースでした。パウロは祈りの中で手紙を書きました。直接会うのでもなく、ただ文章を書いて送りました。それがどれほどの効果をもたらすかは不確かでした。しかし、主なる神様はパウロの書いた手紙を通して、コリントの人々の心に働き、悔い改めをもたらしたのです。これは素晴らしい主の働きでした。パウロが働いたのではありません。主なる神が、聖霊様がコリントの信徒に働きかけて、彼らの心を作り変えました。
パウロは、情熱的な宣教者でした。同時に、彼は私達と同様に、罪人の頭でした。彼がこのような働きを成し遂げた力はどこから来たのでしょうか?彼の励ましと慰めの源はどこにあったのでしょうか?彼の能力の高さでも、彼の頭の良さでもありませんでした。むしろパウロが落ち込んでいるとき、苦しんでいるときに、主はご自分の権威をもって人々に働かれ、人知を超える神の力で人の心に悔い改めの恵みを与えて下さる主の御業を見た時、慰められました。
彼は自分の書いた巧みで論理的な文章がコリントの人々を変えたと思いませんでした。主が彼らの心に働かれたと信じました。そして、慰められたのです。それは今を生きる私達もまた同様です。私達は、2千年前にイエス様が来られ、十字架で私の罪を贖われたことを知っています。主は働かれました。そして主は今も生きています。主は今も聖霊様として、私達の心の中で働かれます。それゆえに、主は私達の中で働いておられるのです。それが主の慰めであり、励ましです。主は目には見えなくても、全てのクリスチャンを通して、聖霊様は働いておられます。その聖霊様が人々を真理へと、キリストの救いへと導くと確信しましょう。私達の努力や熱心さが人を変えるのではありません。
私自身についていうならば、自分は体を動かして働くのが働くのが好きな人間です。しかし、いつもある葛藤は、自分が働いた分に対して、実りが少ない時、結果が思わしくない時に、失望し、落胆することもあります。
そんな時こそ、心に留めなければならないことは、全ての働きは主が行い、成し遂げるものだということです。もちろん、我々は日々、福音の種をまくべきです。時が良くても悪くても、キリストを伝えることです。しかし、全ての主権は主の元にあり、人間の力と知恵で人を変えることはできないということです。だからこそ、私達は主に祈り、主の御心を訪ね求めながら、主の主権を認めつつ、人間として心を尽くして最善を尽くして主に仕える一人一人になることを願います。パウロの人生はそういうものでした。
神の子キリストの故に、弱く罪深い私達を通して、主が日々、私を通して働かれることを信じましょう。そのようにして、主の励ましと慰めを日々頂くものになりましょう。
パウロはこうした慰めを与えられて、第二コリント信徒の手紙をしたためたのです。それが聖書になりました。神がパウロに与えた励ましと慰めは、一巻の聖書を作り出すことに貢献したのです。だからこそ、第二コリント信徒への手紙のテーマは、『慰めを与える神』ということもできます。実に18回も励まし、慰めという意味のパラカレオ―という言葉が出てきます。(説教 小倉隆志牧師)
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