リビングストーン教会礼拝説教

聖書本文 第一ペテロの手紙3:8〜14
主題 祝福を受ける姿勢

2つ目に、10節~12節はペテロは旧約聖書を引用しながら、祝福を受けるべきクリスチャンの態度について語ります。

3:10「命を愛し、/幸せな日々を過ごしたい人は、/舌を制して、悪を言わず、/唇を閉じて、偽りを語らず、3:11悪から遠ざかり、善を行い、/平和を願って、これを追い求めよ。3:12主の目は正しい者に注がれ、/主の耳は彼らの祈りに傾けられる。主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」

この本文は旧約聖書の詩篇34編を引用しています。クリスチャンは、この世の悪や迫害とは関係なく、自らを日々キリストに近付けていくことを目標にしましょう。それは自らの舌を制し、悪と嘘偽りを言わず、善を行い平和を追い求めることであります。大切なのは周りの環境がどんな状況かではありません。誰が自分に敵対するか、誰が自分に悪口を言っているか、関係がありません。私達にとって必要な全てのことは、主と私との一対一の関係だけであります。そのようにして、主の喜ばれる事を願い求めていくならば、12節の約束が実現します。
主の耳が彼らの祈りに傾けられます。つまり、祈りは応えられるということです。祈りが答えられるクリスチャンほど祝福された人はいないでしょう。私達は悪に打ち勝つことを願い求める必要はありません。敵を打ち破ることを祈る必要もありません。忠実に福音を伝え、隣人を愛し、祈りに応えられるクリスチャンを目指しましょう。祈りが答えられる主と私自身の関係こそ、大きな恵みであり、祝福であります。
そのような善い事に熱心であるクリスチャンに対して、ペテロはもう一つの約束をしています。13節です。
3:13もし、善いことに熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。3:14しかし、義のために苦しみを受けるのであれば、幸いです。人々を恐れたり、心を乱したりしてはいけません。
13節と14節を読むと、何か矛盾しているように聞こえないでしょうか?誰も害を加えられないのに、なぜ苦しみを受けるのか?確かに歴史を見て見れば、多くのクリスチャンは迫害されているし、多くの人々が殉教して命を失いました。それでは13節で書いてある『誰があなた方に害を加えるでしょう』というのは、どのように考えれば良いでしょうか?考えられる事は一つです。私達を迫害し、攻撃しようとする者が何をしようとしても本当の意味で、永遠の意味で私達に危害を加えることはできないということです。イエス様が言われました。

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