リビングストーン教会礼拝説教2015.1.18-2

聖書本文:第一ペテロの手紙1.15

今日はそのような中で、クリスチャンに悪を働く者、迫害する者達に対してどのようにするべきであるのかをペテロは語っています。

3:9悪をもって悪に、侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。かえって祝福を祈りなさい。祝福を受け継ぐためにあなたがたは召されたのです。

これを聞いてイエス様の山上の説教を思い出さない人はいないでしょう。イエス様は山上の説教で語られました。

マタイ5:39しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。5:44しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。

ペテロは間違いなくイエス様に最も近い場所で山上の説教を聞いたでしょう。そしてそれを覚えていたはずです。昔は漁師であり、今ペテロは使徒として手紙を書いています。イエス様との出会い、また十字架と復活の事件から約30年が経ちました。主は、ペテロをご自分の約束の通りに、『わたしの羊を飼う者』となさいました。彼の主に対する愛はあまりにも足りないものであり、大きな失敗もありました。しかし今やペテロは偉大な使徒として、羊の牧者として愛をもってイエス様の語られた御言葉を自分の口で語っています。「悪をもって悪を返してはなりません。むしろ祝福しなさい。」使徒ペテロはまさに聖霊の感動により語っています。ペテロに起こった素晴らしい変化は、私達にも起こるものだと信じます。我々もこのようになりたいです。ペテロは主が捕まる時、『主よ、剣で打ちましょうか』と言って、剣をとって真っ先にローマ兵士の耳を切りつけたではないですか?あの場面を思い出せますか?イエス様があわててローマ兵士の耳を奇跡的に癒したのを。彼は主イエスを捕らえるという悪に対して、剣という悪をもって答えようとしました。ローマ兵の耳を切り落としました。しかし、30年の時が過ぎて、今はそのようには言いません。あのペテロがこのように語っているということが、私達にとって大きな慰めであります。乱暴で、気が短いあのペテロは今や主の御言葉を語る者になっています。私達も同様であります。どんなにか我々は罪深く足りないものでしょうか?私達もペテロと同じです。しかし、素晴しい恵みは、我々もペテロのように、時間はかかっても主の前で相応しい者へと造りかえられていくという確信です。主と共に歩む人生の中で、我々もペテロと同じように足りなさ、弱さを日々造り変えて下さり、主の前に相応しい者に聖化されることを信じましょう。

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