東京リビングストーン教会主日礼拝2016.5.29

聖書本文:使徒言行録16:8-15、フィリピ1:3-6

主題:主が始められ、成し遂げられる

リディアは神の恵みにより、神をあがめる心が与えられていました。主は日本にも、東京でもこのような人々を起こしておられることを信じましょう。なぜなら、フィリピ1:6にある通り、私達の中で良い業を始められる方は主なる神だからです。すでに私達の心の中で始められた方です。

14ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。

今日の本文で“主が彼女の心を開かれた”とありますが、この言葉はギリシャ語でδιήνοιξεν (diēnoixen) 

新約聖書で2回表れています。この使徒言行録16章14節と、もう一つはルカによる福音書24章45節です。

使徒24:45そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、24:46言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。24:47また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、24:48あなたがたはこれらのことの証人となる。

重要なことは、主がその彼女に働きかけたという事実です。人々が信じるのは、無理な説得や脅しや折伏によるのではありません。伝道者は真剣に御言を伝えます。人々のために祈ります。しかし、人の心の扉を開けて信じさせるのは、ただ主なる神様のみであることを信じましょう。

神の御言葉を聞いて、心開かれたリディアの人生の決断は、素早いものでした。彼女はビジネスマンだけあり、速かったのです。

15そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたが、どうぞ、私の家に来てお泊りください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。

「無理に承知させた」と書かれています。この行為について、ルデヤの性格はかなり強引だと考えてはいけないように思います。思うに15節の彼女の発言は、主を知り、主の福音にあずかった者として、自分がさらに深く主について知り、主のために何か意味のあることをしたいという強い意志が彼女のうちに起こったことを伺わせることばではなかったかということです。

この意味にあたるギリシャ語のπαραβιάζομαι「パラビアゾマイ」「無理に承知させた」は、新約聖書では2回しか使われていません。ひとつは、ルカ福音書の24:29でエマオの二人の弟子がイエスを無理に引き止めて、イエスに泊まってもらうように願いました。それは弟子達がさらに深くかかわりを持って、イエス様から聖書の話を聞きたいと思ったからです。そしてもうひとつは、今日の本文です。このような切なるリディアの願いは、リディア個人の願いというよりもむしろ、主が彼女の心に切にパウロの教会開拓に協力したい、手助けをしたいという願いを起こさせたと考えるべきです。

つまりパウロのフィリピへの宣教旅行も、リディアが心を開かれたことも、そしてリディアが信じた後にパウロに熱心に協力しようとしたことも、主が成しとげられた働きだということです。

「あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じている」(ピリピ 1:6)とパウロは言いました。

神様は今も同じようにして、この日本で生きる私達の心の中に働かれると信じます。既にイエスを主と信じて歩んでいるクリスチャンに対しては、私達の中で主の良い業は始まっています。そしてそれは今も続いており、主の日に完成されることを信じて感謝しましょう。そして、私達は人間の力に頼るのではなく、日々、主の力により頼んで、私を通して働かれる主の力が、私たち東京リビングストーン教会の兄弟姉妹を日々聖くし、日々キリストの似姿へと近付けて下さることを信じて主に従いましょう。

そして、未だにイエス様を主と信じていない人々に対しては、主なる神は全ての人々を愛しておられることを知って欲しいです。主は今も一人一人の心に働かれている事、主が示された愛に対して心開かれて欲しい事、キリストを通して罪の赦しと永遠の命を手に入れて欲しい事、それが主なる神様の一人一人に対する願いであります。

更に主は私達の教会を通しても既に良い業を始められている事に感謝しましょう。それは今も続いているし、更に強められています。主はこの日本、東京の地において私達の教会を通して主の働きを始められたことを感謝し、それが人間の手によるのではなく、主の御手により強められ、拡大され、完成される事を願いつつ、主の働きに励む私達東京リビングストーン教会になりましょう。