精錬された金、白い衣、目に塗る薬
主日礼拝2016.5.29

聖書本文:使徒言行録16:8-15、フィリピ1:3-6

主題:精錬された金、白い衣、目に塗る薬

ここには、日本における教会の働きにも通じるところがあると言えるでしょう。主は日本を経済的に非常に豊かな国へと変化させました。おととい金曜日はアメリカのオバマ大統領が広島を訪問し、世界で最初に原爆が落とされた都市に、それを実行した国の大統領が訪問しました。非常に歴史的な意味があったと思います。70年前に日本は広島だけでなく、東京も焼け野原になりました。それが70年間を通して、驚くほどの成長を遂げました。世界の金持ちの仲間入りをしました。しかし、同時に多くの人々が神に対して関心がありません。目に見えない神よりも、目に見える金やモノが人々の心の中で神になっています。聖書が語る神は、商売繁盛や大学合格や恋愛成就を与えてくれる『ご利益の神』ではありません。日本でも商売繁盛、ビジネス成功の為に神社で祈る人は数多くいるでしょう。しかし、リディアはビジネスマンでありながら、そのような目的で神をあがめませんでした。彼女の心は、唯一の真理であり、道であり、命である神を求めていました。彼女はビジネスマンでありながら、なぜそのように神を崇めるようになったのでしょうか?それは神だけがご存じです。ただ一つ確実なことがあります。リディアが神を求めるようになったように、私達も人生のある時点で神を求めるようになりました。そして、時が来てキリストの福音を聞いて、信じたのです。

そのような人々は今もなお、この日本に、東京に数多くいることを私は信じます。もちろん、クリスチャンではありません。聖書を読んだことがないかもしれません。しかし、心の中には神を求める心、変わらない真理を求める心を与えておられる人々がいることを私たちは確信しています。この東京リビングストーン教会の中にもいると信じます。

お金は私達の命を保証するものではありません。リディアは紫布を商う人でした。当時、紫の布を買うことができるのは、王族か貴族のような金持ちだけでした。つまり、リディアはそのようなリッチな人々と交流があったということです。彼らの服装は非常に華やかでした。外見は美しかったでしょう。しかし、リディアはそのような人々との交流の中で、どんなに財産を持ち、どんなに美しく着飾っても、その心の中には取り除くことができない不安や恐れがあったのを発見したかもしれません。

このフィリピの町は偉大なローマの植民都市であると同時に、もう一つ、金鉱があることで知られていました。金の鉱山を通して、どれほど人々は金もうけしたでしょうか?フィリピには金鉱開発で大儲けした人々がいたはずであり、彼らがリディアの商売相手だったかもしれません。しかし、彼らはもちろん真の神を知りませんでした。表面的には満足していませんでしたが、彼らは神による真の豊かさを知りませんでした。

私達はヨハネの黙示録を見れば、7つの教会の内の最後の教会はラオディキア教会であり、イエス様に一番厳しく叱られている教会であることが分かります。

黙示録3:17あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。3:18そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。

ラオディキア教会の問題点は何でしょうか?彼らはイエス様は信じているとは言うものの、イエス様以外のものをもっと信頼していました。17節にあるように、一つはお金です。ラオディキアは商業都市であり、経済的に豊かな都市でした。そしてそこは織物も有名であり、沢山の服を生産していました。そして更には、目薬で有名な町でした。そのようにして、この町は豊かな経済、服や目薬を生産していること、イエス様以外のもので満足しているがゆえに、私は金持で満足している、必要なものはないと言っているのです。しかし、実は彼らは偽りのもので満足していて、彼らは金持でありながら、霊的には貧しい者であり、服を生産していながら霊的には裸の姿であり、目薬を販売していながら、霊的な目が見えていないとイエス様は指摘しています。それが18節です。

そんな中で、イエス様はラオディキアの信徒たちに、真の主との交わりを回復するために、自らの霊的な貧しさ、霊的な裸をさらしている恥ずかしさ、霊的に目が見えない盲目さを痛感し、自らの高慢の罪を悔い改めて、主に立ち返れと命令しているのです。悔い改めこそが、主との豊かな交わりを回復するただ一つの道であると信じます。私達はどうでしょうか?私たちもまた、既にクリスチャンでありながら、霊的な目が閉じられているでしょうか?私達は自らの霊的な盲目さを悟り、悔い改めを通して神に対する目が開かれ、神を切に求める東京リビングストーン教会になることを祈ります。