東京リビングストーン教会木曜礼拝2015.12.3

聖書本文:士師記13章

主題:不適格者に与えられた無条件の選びの恵み

このようにして主はサムソンを世に使わそうとされました。もはやデボラの時代やギデオンの時代のようではなく、誰も共に戦ってくれるイスラエルの勇士はいませんでした。誰も戦う力と心をもっていませんでした。そのような中で、サムソンは、数万の軍隊でも、300の軍隊でもなく、ただ一人でペリシテ人と立ち向かい、勝利を収めました。同じように私達は罪に立ち向かう力はありません。罪に対してあきらめるしかない存在です。しかし、私達に代わり、イエス様はただお一人で十字架に向かわれて、その死と復活により全ての罪と死に打ち勝たれたお方であります。サムソンの全ての力の源は神に対するナジル人としての献身にありました。彼は聖霊に満たされていました。しかし真に100パーセント聖霊に満たされたお方、死にさえも打ち勝つ偉大な力の持ち主はただイエス様だけであります。だから、ペリシテ人に40年支配されている間、マノアの家庭に救いの先駆者が生まれると約束を受けたこの夫婦はどんなに期待と喜びにあふれただろうかと思います。マノアと妻は、奇跡的に産まれるであろう救いの約束の子供を待ち望んだのです。同じように、私達はクリスマスを迎えようとする中で、私達を罪から救うために生まれた約束の子、イエス様の誕生を喜び祝わなければならないのです。この方こそ、東京リビングストーン教会の兄弟姉妹が待ち望み、喜び祝う唯一のお方であると信じます。

このようにして、私達が士師記の物語を見るときに、12人の士師の中で最もイエス様の救いの働きを明確に暗示しているお方はサムソンであると言うことができます。私達は士師の時代よりもはるかに暗い時代を生きているかもしれません。この世界には多くの諦めと絶望があります。この時代のイスラエル民族以上に、現代人は無気力かもしれません。しかし、私達の時代に与えられた救い主は、サムソンよりもはるかに力強いお方であることを感謝しましょう。その方を通して、その方の霊の助けにより、私達は罪に対して勝利できるリビングストーン教会の兄弟姉妹になると信じます。

そして、2番目に、サムソンが士師記の中で大きく取り上げられるべきもう一つの理由は、彼のあまりに人間的な弱さにあると言えます。士師の中でサムソン以上に肉体的には強くても、心は弱い人は見ることができません。

そのサムソンの性格はあまりにも劇的なので、『サムソンとデリラ』というハリウッドの映画も作られたほどです。しかし、私達はこれから4章にわたり読んでいくサムソンの弱さを見ながら、ただ反面教師として、悪い模範として、見るべきではありません。女性の誘惑に気をつけないと命取りになるという道徳的教訓を学ぶためにあるのではありません。何よりも大切なテーマは、主なる神様は、このような弱いサムソンを通しても働いて下さるという主の恵み深さです。パウロが第二コリント人への手紙で書かれたとおりに、神の力は、人間の弱さを通して表されるという点です。サムソンは彼自身の人格と、そして彼に与えられたその使命の間に大きなギャップがあるのを私達は知っています。彼はナジル人であり、死体に触れることは禁じられていました。しかし、後で彼は死体に触れています。彼はナジル人として与えられた使命に対してあまりにも不忠実な存在でありました。人間的な点で考えるならば、成績不振のためにペナントレース途中で首になる野球の監督、ワールドカップ予選の最中に首になる監督がいますが、そのような感じではないでしょうか?サムソンの行動はどれほど良く評価しても褒められるところがありません。人格的にも数多くの問題が見出せます。しかし、ただ一つ私達がサムソンの士師としての役割を見て評価できるのは、彼が誰も共に戦わない時代において、ただ一人、聖霊の力によって戦ったことであります。神様はサムソンを、ペリシテ人から救う救いの先駆者として用いると約束されました。これは主なる神様がサムソンの立派な人格を見て判断されたのではなく、彼がまだ生まれる前に、彼が主に栄光を帰する働きをするように定められたということです。主の無条件的な選びがここにあります。そして、主は生まれる前から定めておられた通りに、彼をペリシテ人からの解放者として用いました。どんなに性格的に問題があり、誘惑に弱かったとしてもです。なぜなら主が既に生まれる前から定められていたからです。私達は士師記13章を通して、主が私達に対しても同じく、生まれる前から定めておられる尊い主の計画があることを信じなければならないのです。

エフェソ1:4天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。1:5イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。1:6神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。

主は天地創造の前から私達を選ばれたとエフェソ1章にあります。それは、御子キリストによって与えられた神の恵みをたたえるためであると語っています。つまり、私達はそれぞれがそれぞれの方法を通して、神の救いの恵みをこの世界に表すために天地創造前から選ばれたという主の計画と恵みです。私達はこれを悟らなければなりません。私達の人格や弱さを超えて、常に働いておられる主の計画があるということです。もちろん、私達の罪深さが、神の計画を妨げたり、中断させたりすることはあります。しかし、主が定められた以上は、主は全ての出来事を働かせて、主の計画を万事が益となるように成し遂げて下さることを、私達リビングストーン教会は御言葉を通して信じる者になりましょう。