弟子たちが見た奇跡②

東京リビングストーン教会木曜礼拝2016.5.19

聖書本文:マルコによる福音書6章45節~56節

主題:弟子たちが見た奇跡②

マタイ14:30しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。14:31イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。

  • イエス様は離れたところからペテロに手を差し伸べました。自分が水の上を歩きながらも沈みかけていることを想像してみて下さい。もし沈まないように助けようとする人が近くにいたら、その人にしがみつくことはしても、声に出して助けを求めたりしないでしょう。ペテロが〝主よ、助けて下さい″と叫んだことは、イエス様はある程度離れていて、それにも関わらず手を伸ばしてペテロを捕まえたことを意味しています。主は遠く離れたところからでも、私達に手を差し伸べ、助けることがおできになるお方です。そしてペテロは確かに薄い信仰のゆえに、沈みかけました。しかし、彼は同時に沈みかける自分の手を取って引きあげて下さるイエス様の力強い御腕の力をもまた経験することができたのです。それは決して、舟の上でおびえながら様子を見守っている他の11人の弟子達には決して経験することができないことです。ここがペテロの素晴らしい点です。未熟さもありながら常にチャレンジしました。失敗もしましたが、その度ごとに助けて下さるイエス様の力をもまた体験したのです。決して傍観者の信仰ではありませんでした。クリスチャンの信仰生活はこのようなものです。信仰をもって、前に一歩踏み出し、恵みを体験し、時には不信仰のゆえに失敗しながらも、その度ごとに主の助けと恵みを経験して、再び悔い改めと共に立ち上がること、それをくり返しながら、少しずつ主に近付き、少しずつ主に信頼するようになること、主と親しくなっていき、主を愛するようになること、これが東京リビングストーン教会の兄弟姉妹の目指すべき恵みの信仰生活のサイクルであると信じます。
  • 51節によれば、イエス様は舟に乗りこむなり、大風を静かにさせました。イエス様が弟子たちと共に歩む時、嵐は静まるのです。逆風は去り、前に進むことができるようになります。このようにして嵐は静まりました。イエス様は天地万物を造られたお方であり、その天地万物を治め、支配しておられるお方であると信じます。主は全てのものをコントロール出来るお方です。天気であれ、気候であれ、支配しておられるお方です。その方は嵐を静め、雲を過ぎさらせることもできるお方です。同じようにして、主は私達の心の中の嵐をも静めることができることを信じましょう。実はこの世の中で最も激しい嵐が吹いている場所は、外の世界ではなく、私達の心の中だと言えます。心の中こそが、私達の直面する最も激しい嵐があります。それは怒りであったり、嫉妬や思い煩い、不安と言う嵐があります。そのような心の中の嵐をもまた、主は静めることがおできになるお方です。主が私達の心の中心におられるならば、心の嵐はたちまち静められることを信じます。それゆえに、私達は常に心の王座に、自分ではなく、主イエス様に座っていただくことです。それが日々の悔い改めです。自らの心の中心から退いて、イエス様に中心に座って頂く事、その時に主は私達の心を完全に支配し、治められ、心の中に神の国の平安と喜びが満ち溢れるリビングストーン教会になる事を信じましょう。
  • 最後に、これは (ヨハネ6:21)の記述ですが、イエス様は〝湖の真ん中で″船に乗りながら、〝すぐに″岸にたどり着いたと書かれています。

ヨハネ6:21そこで、彼らはイエスを舟に迎え入れようとした。すると間もなく、舟は目指す地に着いた。

日本語では『間もなく』とありますが、英語では、immediately 『すぐに』という表現が使われています。主と共に進むことが、最短ルートであり、最も速い方法であることを聖書は語っています。

このような出来事を通して、12人の弟子たちは、イエス様の神としての品性に触れ、信仰を成長させていきました。それらは全ての人生の出来事の目的は『主なる神を知る事』であると結論づけることができます。神学者であるJ.I.パッカーは、このように言っています。

“私達は何のために造られたのか?”それは神を知るためです。“私達の人生の目的は何であるべきか?”それは神を知ることです。“イエス様が与えて下さる永遠の命は何ですか?”それは神を知る事です。“人生における最高のことは何ですか?”それは神を知る事です。

神とその御子であるイエス・キリストを知る事こそが、人間の人生における最高の目的であり、命であり、最高の喜びであり、希望である事を信じます。それはこの世の人が目指す、この世の自己実現や目標達成とは違います。実現したことで無くなるものでもありません。神を知る事こそが、イエスの弟子達が知り続け、それと共に成長し続けたことでした。それは主が昇天された後もなお続きました。彼らの人生は主を述べ伝えることであり、宣教することでしたが、その究極の目標はそれを通して『主なる神を知る事』でした。私達リビングストーン教会の兄弟姉妹もまた同じ目的と同じ喜びのために生きています。主なる神を知る事こそが人生の最高の喜びである事を確信し、日々の歩みの中でますます主を知り、それと共に証し人として成長する私達になりましょう。