弟子たちが見た奇跡①

東京リビングストーン教会木曜礼拝2016.5.19

聖書本文:マルコによる福音書6章45節~56節

主題:弟子たちが見た奇跡①

このような中で、主イエスは弟子たちにご自分の姿を明らかにするために、パンの奇跡の直後にこのような出来事を起こされたと考えることができます。それはまず、イエス様がいない中ではどんなにガリラヤ湖での航海は難しいものであり、逆風に悩まされているのかという事です。

47夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。48ところが、逆風のために弟子達が漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子達のところに行き、そばを通り過ぎようとされた。

弟子たちはイエス様から遠く離れていました。彼らは湖の真ん中、イエス様は陸地にいました。弟子たちは逆風に悩まされて前に進む事ができません。それが私達の状況でもあります。イエス様の助けなしには私達は前に進むことはできないのです。それは人生の計画であれ、勉強や仕事であれ、家庭の事情であれ、何よりも福音を述べ伝え、魂を救いに導く宣教の働きであれ、主イエス様の助けなしには私達は前進することはできません。そのことを心に留めるべきです。そして、何であれ私達が前に進んでいるならば、それは主の助けと導きにより前に進んでいることを心にいつも覚え、感謝と賛美を主に捧げる者にリビングストーン教会の兄弟姉妹になるべきであります。

このような逆風の中で、弟子たちは悩んでいました。しかし、私達は今日の本文を通しても、イエス様の神ご自身としての性質を見る事ができます。

  • まず、イエス様は岸から数マイル離れた場所であるにも関わらず、弟子たちが〝漕ぎ悩んでいる″姿を『見た』のです。そしてそれは『夜中』であった。主は陸地におられ、弟子たちははるか遠くの湖の真ん中でした。しかも真夜中でした。それにも関わらずイエス様は弟子達の悩んでいる姿を見たのです。主は時に私たちから遠く離れていると思う時があるでしょうか?それでも主は常に、私達の姿を見て下さっています。それが暗闇の中であっても、遠く離れた場所であっても、主は私達の悩んでいる姿、苦しんでいる姿をご覧になっておられます。それは大きな慰めであります。
  • 次にイエス様は湖の上を歩いて来られました。イエス様は舟をお持ちになりませんでした。しかしそれもまた、弟子達の元に行くのに何の妨げにもならないのです。主は自然の法則、重力の法則に制限されるお方ではありません。そのようにして、主イエス様は時間を越えて、空間を越えて私達東京リビングストーン教会の兄弟姉妹の元に来られるお方であることを覚えて感謝しましょう。
  • (マタイ14:29) イエス様はペテロに水の上を歩かせました。これはイエス様が願ったことではありません。ペテロがそう願いました。ここに素晴らしいペテロの信仰があります。多くの弟子たちはイエス様を見て幽霊だと思い、おびえて叫びました。しかし、ペテロはイエス様の水上を歩く姿を見て、『自分にもそれをさせて下さい!』とお願いしたのです。私はペテロのこのような姿勢が個人的に好きです。ペテロは色々足りないところ、未熟なところもありましたが、彼には『チャレンジ精神』がありました。彼は未だ誰もチャレンジしたことがないところにチャレンジしました。それは水の上を歩いてイエス様に近付くことでした。確かにペテロは周囲の状況を見た時に、我に返って恐怖に襲われました。それと同時に沈み始めたのです。私達が心に留めるべき信仰の姿勢があります。私達クリスチャンはこの世とは違う生き方ができます。それはある意味超自然的であり、驚くべき生き方ができます。それはペテロが水の上を歩いたような生き方です。それは普通の人にはできない生き方であり、人々に驚きとインパクトを与える生き方です。しかし、それは、私達がただイエス・キリストのみに注目して生きる時にそれができるということです。まず、「私に水の上を歩かせて下さい」という願いは、イエスに対する信仰がなければできない発言です。そして確かに短い時間ではあれど、ペテロは水の上を歩きました。それは本当に驚くべき不思議な体験だったでしょう。しかし、周囲の状況に目を奪われ始めると、途端に沈み始めました。私達もクリスチャンとして生きる中で、こういう恵みや失敗を経験したことがあると思います。主を見上げて歩むならば、私達は必ず世の中では出来ない人生を歩めることを信じます。それを通して素晴らしい証しが生まれることも信じます。しかし、それを長続きさせることは簡単な事ではありません。私達は弱い人間であるがゆえに、常に周囲の状況に振り回されるものです。それと同時に今まで受けた神の恵みを忘れ、神の力をも忘れて、水の中で溺れるペテロのようになることもあるでしょう。しかし、素晴しいことは主イエス様はその度ごとに、私達を助けて下さるのです。

マタイ14:30しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。14:31イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。

  • イエス様は離れたところからペテロに手を差し伸べました。自分が水の上を歩きながらも沈みかけていることを想像してみて下さい。もし沈まないように助けようとする人が近くにいたら、その人にしがみつくことはしても、声に出して助けを求めたりしないでしょう。ペテロが〝主よ、助けて下さい″と叫んだことは、イエス様はある程度離れていて、それにも関わらず手を伸ばしてペテロを捕まえたことを意味しています。主は遠く離れたところからでも、私達に手を差し伸べ、助けることがおできになるお方です。そしてペテロは確かに薄い信仰のゆえに、沈みかけました。しかし、彼は同時に沈みかける自分の手を取って引きあげて下さるイエス様の力強い御腕の力をもまた経験することができたのです。それは決して、舟の上でおびえながら様子を見守っている他の11人の弟子達には決して経験することができないことです。ここがペテロの素晴らしい点です。未熟さもありながら常にチャレンジしました。失敗もしましたが、その度ごとに助けて下さるイエス様の力をもまた体験したのです。決して傍観者の信仰ではありませんでした。クリスチャンの信仰生活はこのようなものです。信仰をもって、前に一歩踏み出し、恵みを体験し、時には不信仰のゆえに失敗しながらも、その度ごとに主の助けと恵みを経験して、再び悔い改めと共に立ち上がること、それをくり返しながら、少しずつ主に近付き、少しずつ主に信頼するようになること、主と親しくなっていき、主を愛するようになること、これが東京リビングストーン教会の兄弟姉妹が歩むべき、恵みの信仰生活のサイクルであると信じます。