4.信仰の盾6:16なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。

ローマの軍団兵の盾というのは、体全体を防ぐことのできる大きさがあります。しかもそれを軍団兵同士でお互いに密着して、まるで亀の甲羅のように軍団全体を盾と盾を組み合わせて守ることができました。上から飛んでくる弓矢があっても、ある兵士たちは盾を上の方向に向けることで、その軍団の前後左右が盾で守られるシステムがありました。このような統率の取れた行動がローマ軍団兵の強さでもありました。それでも敵による強い攻撃手段として、遠くから飛んでくる火の矢がありました。古代も多くの兵士達が弓矢で倒れました。火の矢で焼かれました。なぜパウロは、信仰を盾として取りなさいと言ったのでしょうか?なぜなら、サタンは不信仰という名の火の矢を飛ばしてくるからです。今も霊的な、目に見えない世界においてサタンは不信仰の矢を次々と人々に向けて打っています。その矢に当たれば、私達は不信仰になります。失望し、落胆し、信仰を失います。それで自然と神様の元から離れていくようになります。私達は実に、信仰によってイエス・キリストと結ばれ、信仰によって神の元に留まることができます。しかし、私達が不信仰に陥るならば、私達はいとも簡単に神の軍隊、神の陣営から離れてしまうのです。だから、私達は不信仰や絶望、落胆という弓矢を防ぐために、信仰という名の盾を手に取りましょう。今も私達はどんなにか失望し、落胆し、がっかりさせられる事が多いでしょうか。今年一年を振り返って見ても、私達は様々な出来事に失望し、様々な人にがっかりしたのではないでしょうか。しかし、不信仰や落胆、絶望は決して神から来るのではありません。それはサタンから来ます。それらはサタンが打って来る不信仰という名の火の矢であることを知らなければなりません。まず何よりも、どんなに私達が周りの人々、周りの出来事に失望、落胆させられたとしても、神ご自身は決して私達を失望、落胆させない事を確信しましょう。聖書にも、主を信じる者は決して失望することがないと言います。信仰の父のアブラハムほどに、大きな信仰の盾をもっていた人物はいないかもしれません。アブラハムほどに失望、落胆と戦った人はいないでしょう。息子イサクを生むために25年信じて待ちました。その間に人間的な不信仰によりイシュマエルを産み、ハガルとサラは対立しました。息子イサクをいけにえとして捧げるよう命じられた時に、主を信じて従うべきか、最大の試練がありました。アブラハムの人生にはいつも不信仰との戦いがありました。しかし、彼は主を最後まで信じてその信仰の盾を握りしめました。私達は、アブラハムの時代よりもはるかに多くの信仰の盾があります。神の御言葉と言う信仰の源があります。多くの兄弟姉妹の証しがあります。様々なクリスチャンの霊的な書物があります。私達は御言葉を通して、兄弟姉妹の交わりと証しを通して、霊的な本を通して、信仰の盾を大きくしましょう。そして、常に私達を攻撃してくる不信仰の矢を防御する私達東京リビングストーン教会になりましょう。

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