東京リビングストーン教会木曜礼拝2015.8.27

悔い改めなしの悲しみ
士師記2:1主の御使いが、ギルガルからボキムに上って来て言った。「わたしはあなたたちをエジプトから導き上り、あなたたちの先祖に与えると誓った土地に入らせ、こう告げた。わたしはあなたたちと交わしたわたしの契約を、決して破棄しない。 

語っておられるのは、「主の使い」です。創世記から何度となく現れてくださった方です。私たちはこの方が、受肉される前のイエス・キリストであると信じています。この方はただの天使ではありません。なぜなら、『わたしはあなたたちをエジプトから導き上り、先祖に与える土地に入らせた』と言っているからです。私達を罪の奴隷から解放し、約束の天の御国に導くことができる方はイエス・キリストただお一人だからです。この方は出エジプト記3章で、モーセに対してホレブ山で、燃える柴の中で現れてくださいました。そして足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。』と言われました。

 そして今、この主の御使いはギルガルから来られました。ヨシュア記5章を見れば、ギルガルで彼らは、割礼を受けました。そして過越の祭りを祝いました。そして『主の軍の将軍であるお方』に出会ったのです。すべての戦争に対して勝利されるお方です。この方もヨシュアに対して『足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから。』と言われました。つまりこの方は神ご自身であるお方であります。

この方は言いました。わたしがあなたたちをエジプトから導き上ったと。大いなる救いです。そして救っただけではなく、契約を結ばれました。契約を結ぶというのは、私たちが神の民になるということです。そして新約時代においては、私たちが神の子となるということは、私たちはキリストの花嫁になり、キリストが私たちの花婿になるということです。このお方こそが、私達すべてにとっての祝福の源であり、幸いの源であります。この方は、決して契約を破らないと言われています。私たちはこのことを心に留めなければなりません。私たちは主が私達を選んで下さり、救って下さった愛と恵みを忘れるようなことがあるならば、それが私たちが主に従わない原因になるということです。


申命記7:7主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。7:8ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。

主は私たちが弱い存在でありながらも、恵みにより我々を選んで下さいました。愛して下さいました。それは決して変わらない愛であります。私達が尊い主の愛の関係に導き入れられたこと、主との愛の契約の中にいることを日々思い起こさないならば、私たちの心は主から離れていってしまうのです。今日の本文だけでなく、旧約聖書全体を通して、『わたしはあなたたちをエジプトから導き上った神である』という言葉はどれほど数多く聞いているでしょうか?数えきれないほどです。つまり、私達は日々これを自らの心に語り掛けねばなりません。私達を罪の奴隷から解放して下さった方はイエス様であります。この救いの恵み、初めの愛から決して離れることがない私達になることを願います。

しかしながら、イスラエルの民は、主の大いなる救いの業を忘れ、異邦人のカナン人と契約を結ぶようになってしまいました。

2:2あなたたちもこの地の住民と契約を結んではならない、住民の祭壇は取り壊さなければならない、と。しかしあなたたちは、わたしの声に聞き従わなかった。なぜこのようなことをしたのか。

 モーセが何度も何度も、このことを警告し、ヨシュアも警告していました。『契約を結んではならない』というのは何でしょうか?聖書には契約という言葉がたびたび出てきます。

契約とは、「権利」と「義務」の関係です。例えば朝日新聞と契約を結びます。私たちは毎朝、目が覚めた時に新聞を家の玄関で手に入れることのできる権利が与えられます。しかしながら、毎月3千円位、支払う義務も生じるのです。契約しなければ新聞を毎朝手にできません。しかし、お金を払う必要もないのです。彼らは異邦人と契約を結びました。彼らは異邦人から何かの利益を得たでしょう。彼らの富、彼らの習慣、彼らの文化から利益を得たでしょう。しかしながら、結局、そのために異邦人の中で、異邦人の文化や習慣、そして宗教に従わなければならない義務が生じていたということです。『祭壇を取りこわさなければならない』というのは、彼らの宗教に従ってはならない、彼らの神に従ってはならないということです。異邦人と契約を結ぶということは、つまり偶像崇拝に陥ること、真のイスラエルの神以外の神と契約を結ぶことを意味します。

私たちの信仰生活はどうでしょうか?私たちの信仰生活は、本当にイエス・キリストとだけ契約を結んでいる生活でしょうか?悔い改めと共に、主を信じ従う東京リビングストーン教会になりたいと願います。