• 黙示録3:18そこで、あなたに勧める。裕福になるように、火で精錬された金をわたしから買うがよい。裸の恥をさらさないように、身に着ける白い衣を買い、また、見えるようになるために、目に塗る薬を買うがよい。

    3:19わたしは愛する者を皆、叱ったり、鍛えたりする。だから、熱心に努めよ。悔い改めよ。3:20

    見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。

     誤解してはならないのは、本来これはイエス様を受け入れるためのみ言葉ではありません。ラオディキア教会はすでに主を受け入れています。しかし、自らの罪の悔い改めと深い交わりに至りませんでした。とにかく、人々は渇いていました。もう一度新しいリニューアルを必要としていました。箴言も同じく神をおつくりになって、計画された本でもあります。

     知恵は懲らしめを受け入れることです。
    イエスが愛する者を叱ったり鍛えたりすることを受け入れて、悔い改めの心とともに読むべき言葉です。ラオディキア教会はもう一度、キリストとの人格的な交わりを回復するように言われました。同じように、知恵も私達に悔い改めを呼びかけます。神のさとしを受け入れるよう語ります。知恵はキリストとの関係を通して築かれます。この世の知識ではありません。黙示録3:18では、イエスは「私から」精錬されて金を買い、白い衣を買い、目に塗る薬を買うように言いました。なぜなら、ラオディキア地方は経済的に発展し、衣を作ること、目薬で有名でした。それ故に、このラオディキアはお金で満たされ、良い服を買い、目薬で目を良くすることができました。なぜこのような表現だったでしょうか?

     ラオディキアは金で有名であり、洋服も買えて、目の薬も有名でした。人々は満足しているように見えました。しかし、それらは一時的な満足しか与えないのです。故に
    キリストは、真の精錬された金、白い衣であり、霊的に見えるようになる目薬であります。そのキリストとの交わりから真の交わりと喜び、何よりも主の中での知恵を得ることが出来ると信じます。知恵は知識の集大成ではありません。私達はますますキリストとの豊かな関係を学び、そこから知恵を見出す者になりましょう。