どうしたら、劣等感から解放されるでしょうか?その前に、どういう人が劣等感を抱くと思いますか?

沢山持っている人だと思いますか。それとも沢山持っていない人だと思いますか?むしろ沢山もっている人がもっと劣等感が強いと思います。例えば、東大生は劣等感ないと思いますか?あります。日本一の大学で、これ以上の大学はないにも関わらず、多くの東大生が劣等感を持っています。美人の人は劣等感ないと思いますか?あります。なんでだと思いますか?よくばりだからです。人よりも優れている人はもっと人よりも優れていたいと思います。人より美人な人は、もっと美人になりたいと思います。ありのままの自分を認め、今のままの自分で満足できないからです。そして、周囲の人々から認められるために、人々から愛されたくて、涙ぐましい努力をしています。

私達はこのような人間関係のしがらみから解放されるためには、第一の掟にあるように、まず神様を愛することができるようになることです。主は私達を間違った視点で見ることはありません。

もし今、自分を認めることができるなら、もし今、自分を愛することができるなら、それは誰かがまずあなたを認めてくれたからです。誰かがまずあなたを愛してくれたからです。誰も自分を認めてくれないのに、自分を認めることができる、誰も自分を愛してくれなにのに、自分を愛することができる。人間はそんな強い存在ではありません。常に人々の視線、人々の見る目に惑わされてしまいます。私達は周囲の人々の評価に常に振り回され、人々から愛されているか、受け入れられているかで悩みます。しかし、私達は聖書を通して知らなければなりません。

あなたの恋人があなたを愛するよりも、あなたの親があなたを認めるよりも、誰よりも私達を認め、愛し、受け入れてくれる存在がいるということです。それが私達を創造され、愛しておられる主なる神様であります。その神様は言います。

『わたしの目にあなたは値高く、尊く、わたしはあなたを愛している』。英語で言うならば、You are very important person.つまり、VIPです。

聖書を知ることが何を知る事ですか?世の中の視点でなく、友達の見る目ではなく、神様の視点、神様が私達をどのように見ておられるのか、神様の眼差しをしることです。

ヨハネ316神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

神様は私達を愛しておられます。独り子を与

えるほどに愛しておられます。その愛を知ることが、隣人を愛する第一歩です。

明るい自画像は何ですか?世の中の視点で自分を見つめるのではなく、神様の視点で自分を見つめることです。神様が愛して下さる、認めて下さるその愛を知れば、私達は同じ愛で隣人を愛せるようになります。今日このブログを読んでいる方々が、そして東京リビングストーン教会の兄弟姉妹のみならず、一人一人のクリスチャンが、私達を値高く尊い存在として見て下さる主の愛を知ることができるようになることを心から祈ります。