なぜ、イエス様はただ『隣人を愛しなさい』ではなく、『隣人を「自分のように」愛しなさい』と言われたのでしょうか?この御言葉は、隣人との関係だけでなく、自分自身との関係にも言及しているということです。なぜなら、自分を愛することができないのに、他人を愛することができるでしょうか?自分を受け入れることができないのに、他人を愛することができるでしょうか?

皆さんは自分のことが好きですか?自分のことを愛していますか?この質問は重要な質問です。もし、自分自身を愛することができないのなら、隣人を自分のように愛する事はできないのです。誰でも自分が一番可愛い存在です。自分以上に他人を愛することはできません。だからこそ、まず、私達は自分を受け入れ、ありのままの姿を愛せるようにならなければなりません。

どうすれば、自分を愛せるようになるか、分かりますか?多くの道徳、倫理は戒めは与えます。しかし、どうすればそんな事ができるか、教えてくれません。聖書は答えを与えてくれる書物です。

イザヤ434わたしの目にあなたは値高く、尊く、わたしはあなたを愛し、あなたの身代わりとして人を与え、国々をあなたの魂の身代わりとする。

昔の話になりますが、私の小学校の時のあだなは「宇宙人」でした。なぜだか分かりますか?自分の耳が大きいからです。今はもう気にならないのですが、その時は非常に気にしていました。周りの人からそう言われるので、劣等感を持っていました。それは小学校の友人達の視点でした。今思うと、子供も罪人だなと思います。人間は相手を認め、相手を自分よりも優れた人として認める視点を持っていないのです。常に相手は自分よりも欠点があり、劣っているように見たいのです。

高校になり、大学になり、自分を認めてくれる人が出てきて、自分をほめてくれる人が出てきて、ようやく自分を認めることができるようになりました。

まず、私達は主なる神様を愛すれば、私達は劣等感から解放されます。