皆さんは何を恐れているでしょうか?何があなたを恐れさせるのでしょうか?何があなたに不安を与えるでしょうか?それは私達が何かを言った時に人々がどう反応するかということでしょうか?それは未来に何が起きるかという不安でしょうか?起こりうる戦争や、仕事を失う恐れ、他の何かがあるでしょうか?恐れというものは、必ずしも不自然な反応ではありません、しかし恐れは私達に多くの心配をもたらします。

一つの恐れの例をアメリカに見ることができます。シリアにおける戦争は多くの混乱と争いを生みだしました、そして多くの人々が難民として他国に逃げています。しかし、それらの恐怖心のために、アメリカの一部の人々はシリア難民が来るのを追い出したいと願っています、そしてあるアメリカ大統領候補は全てのイスラム教徒が入国するのを拒絶しようとしています。そのような提案は多くのアメリカ人の支持を得ているのです。なぜそういうことが起こるのでしょうか?

それはひとえに、
私達は自分が知らないものに対して恐れと不信感を抱いてしまうからです。恐れというものは、危険を認識することを通して引き起こされるものです。それは体の器官に影響を与えて、最終的に私達の行動を変化させてしまいます。私達が何かを知りえない時、私達はそれに対して恐れと不信感を抱くのです。


私達は恐れの『源』を見つけるために過去に戻らなければなりません。恐れの源は、まさに私達が福音とキリストの愛を必要としていることそのものなのです。神はアダムとエバを創造されました、彼らは神に愛されるために創造された最初の2人です。彼らは神と共に歩むことができました、エデンの園で神の臨在の前を歩むことができました。しかしながら、創世記3章において、この2人は神に不従順しました、そして罪に陥ったのです。彼らが自ら悪を行うことを選んだので、彼らは自らを恥ずかしく思い、恐れるようになりました。彼らは自らを神の前から隠そうとしました。この出来事は、私達がもはや神が願っておられるような神との正しい関係を維持することができないという現実的な問題であります。そしてこれこそが、私達に福音が必要な理由なのです。キリストの愛は私達の恐れを追い出し、私達が神を信じられるようにさせるからです。