聖書に出てくる、『神の恵み』とは何でしょうか?神の恵みは、それを受ける価値のない人々に無償で与えられるものです。それは神からの賜物であり、何の義務もないものです。

『レ・ミゼラブル』という物語を知っているでしょうか?この物語の主人公はジャン・バルジャンであります。彼は元犯罪者であるという理由で非常に苦しい生活を送っていた男です。彼は19年刊刑務所にいましたが、その理由はパンを盗んだことと、刑務所から脱獄しようとしたことにあります。刑務所から出た後に、彼はその元犯罪者であるという印がついた身分証明書のゆえに、住む家を見つけることもできませんでした。彼はその身分証明書を持っている限りは、二度と普通の生活を送ることはできないのです。彼は寝る場所も見つけることができませんでしたが、ある親切なミリエルという名の神父がジャンバルジャンに泊まる場所を与えてあげました。

 しかし、その夜にジャン・バルジャンは神父の持っている銀の食器を持ち出して逃げてしまいました。そして警察に捕まり、ジャン・バルジャンは神父の前に引き出されて、罪を認めるようにさせられました。しかし、その神父はジャンバルジャンに対して、私自身が自らこの食器を与えたのだと言いました。実際は、その神父はジャンバルジャンがさらに二つの銀の蝋燭台さえをも持っていくのを忘れたのだと言いました。警官たちはこの説明を受け入れて、警官達が去った後に、この神父はジャンバルジャンに対して、あなたの命は神様のために
取り分けられたのであり、あなたはこの銀の蝋燭台を通してお金を手に入れて、これからは正しい人生を生きるためにそのお金を使いなさいと命じました。

 まさに、ジャンバルジャンはこのような親切を受けるに値しない人でした。彼は罰を受けるに相応しい者です。彼は再び牢屋に戻されて、そこに戻ったら、彼の犯罪歴のゆえに一生刑務所にいるべき存在だったでしょう。しかしながら、この神父は彼に憐みを示して、彼が罰を受けないようにさせ、更には恵みを与えてジャンバルジャンが受けるに値しない銀の食器までも施しました。ミュージカルや映画でこの内容を確認することができると思いますが、これらの憐みと恵みのモデルは、私達の生活にも適応できるものです。

 信じることができる恵みもまた、私達が受ける価値のないものです。私達もまた福音に対して激しく抵抗している人々のようであります。私達の誰もが、イエス様を喜んで受け入れたわけではありません、しかし、私達がキリストの愛を悟る時に、神の恵みによって、神は私達に主を知る知識を与えただけでなく、更に主を信じる信仰を与えて下さいました。何という素晴らしい恵みでしょうか!