聖書の格言集『箴言』を見ながら考えてみましょう。〝家族”は試験会場でしょうか?、それとも訓練場でしょうか?

1.本当の知恵
本当の知恵とは何でしょうか?
人々と争わず、悪意を持たず、良い行いをできる知恵はどこにあるでしょうか?それは、私達の共同体が家族であることを常に心に語り続けることです。それを毎日ごとに新たにすることです。

ある先生が、教会はテストする場所ではなく、訓練する場所であると言いました。テストは、一度で判断して合格と不合格を診断する場所です。そこには裁きと判断しかありません。しかし、訓練は、足りない所を受け入れて赦しあい、良くなるように教えて導く場所であります。教会はだめなものをだめだと判断する場所ではなく、足りない者が整えられて良くなるように励ます場所にならなければなりません。それが家族の性質だからです。

2.マフィアの『ファミリー』と教会の『神の家族』
皆さんはマフィアの映画のゴッドファーザーを見たことがあるでしょうか?イタリア出身のマフィアの映画です。彼らは外部の人間に対しては暴力的です、しかし、ファミリーの中では、争わないように、愛し合うように、赦しあうように努力します。ある意味矛盾しています。しかし、矛盾しているように思えながらも、家族とはそういうものであるということです。外部に対してあのような暴力的であり、残酷な人々が、家族は愛そうと努力しています。私達はマフィアでしょうか?マフィアでさえも家族を愛するのに、私達は神の家族として互いに愛し合い、励まし合い、赦しあうことができているでしょうか?多くの足りないところが私達にあります。

しかしながら、私達がイエス・キリストを見上げる時に、イエス・キリストの十字架が神と人だけではなく、人と人との隔ての壁をも取り壊すために死なれたことを知るときに、私達の心の中に愛と赦しを実践する力が与えられることを信じます。私達の東京リビングストーン教会も日々イエス様の愛と赦しが溢れることを願います。なぜなら、コロサイ書2章にあるように、

コロサイ 2:3知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。

ゆえに、私達はキリストの中に、生きる知恵を探しもとめる者になりましょう。そして、私達はこの世のあらゆる人間関係において、知恵を必要としている者です。聖書は私達のそれぞれが置かれた具体的な状況の具体的な解決の方法まで書いている本ではありません。しかしながら、キリストを通して私達は愛と赦しの姿を知ることができました。更には、私達にはイエスの名前により知恵を祈り求める特権が与えられています。

ヤコブ 1:5あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます。

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