おしりだって風邪をひく!?-2010121610520000.jpg

産経新聞一面『ちゃいな.com』で、『孔子賞』の公告(←広告ではないのよ)が紹介されていた。

『中国は平和の象徴であり平和擁護の絶対的力だ』とうたい、『ノーベル賞を選定する国は北欧の小国に過ぎず、これは世界の意思を反映しているとは言えない』とする、というものだったそうだ。

さすがに中国でも大手メディアはこの主張を取り上げたりはしていないということだが、ネットなんかでは賛成の書き込みが多い…というのもまぁいつもの反応だ。(ちなみに日本にだって極端で過激なカキコなどいくらだって見つかるわけで。
そんなコトいちいち取り上げてちゃやってられないニコニコ)

それにしても、中国のような大きな国が世界の意思となるべき、という『多数決の論理』は、ある意味民主的と言っていいかも(笑)

驚異的な発展を遂げる中国モデル、というのは、この現代、しかも強権的政府を持つごくごく特殊なものでしかない。

『追い付く』ということを主眼にした発展なのだから。そこには明確なゴールがある。
従って西洋や日本においては、中国モデルは全く参考になるはずもない。

問題は『追い付いた後』だ。

世界が中国語を話すべきとか、『中国の国情』を振り回すかの国が目指すものは、世界の統一中国化だけな気がする。

多様性を認めようとせず我が正義を振り回す…あれ?それってドコの国のコト(笑)?

これって単に、『歴史は繰り返す』だけの話なのねガーン

そうか、中国を見てて感じる『恥ずかしさ』はつまり、自分の子供時代を見せつけられるようなものだから、なのかあせる

かように『人』の本質は変わらず、と。

『国』の成長も『人』の成長も同じ。中国はいわば成長の遅かった巨大児。

いろんな人(国)の成功と失敗を実例として知っている中国は、どんな大人になるのやら。さてもさても恐ろしいことじゃ汗

…と思うのは平均的日本人の私。
変化を恐れる若者が増えていると言われてるが…国としてもう成長期が終わってる、ということか?

ちなみに、日本の首相の決断の遅さについては、管さんがいかに『フツーの常識人』であるかということで、当然であり気の毒にも思う。

小泉さん、中曽根さん、田中さんは、規模は小さいがカリスマで救世主でジャンヌダルクで毛沢東(これらはすべて見方を変えれば同じ)だったのだ。

『常識人』はどちらにも正義があり非があることがわかっているから、決断に向いてないにひひ

中国の決断力と実行力は、『強権発動』でしかないので、お手本にはならないし、ね。