先日、「~してあげる」という言葉が嫌い、ということを書きましたが。
http://ameblo.jp/proctnao/entry-10219631076.htmlそこに、baktさんからいただいたコメントに、考えさせられたのでした。
コメントはこれ↓
>治す、ですか。
>以前から、プラセボの体系的な評価や積極活用が必要なんじゃないかと思ってるんですが、再現性も何もあったものじゃないので、難しいですよね。
>だから医療と患者の二人三脚という言葉があるわけですかね。
プラセボは日本語にすると「偽薬」、つまり薬理作用のない薬の形をしたモノですね。
実際には、治験といって、新しい薬が本当に効くのかどうかを試すとき、偽薬も作って比べる、という時に使われます。面白いことに、実際には薬理作用がない偽薬の方をもらったにもかかわらず、「効きましたー」となることってあるんですよね(もちろん全ての薬ではありませんよ)。これが「プラセボ効果」
「安心する」って、すっごくカラダにもココロにも大切なことなんですよね。
医師に診てもらって「大丈夫ですよ」って言われたとたんに症状がとれる、といったこともあるわけで
ただし。そうなるには、その医師が信頼に値する人だと感じられる雰囲気がないといけないんじゃないかと
その雰囲気を私は「オーラ」という言葉で表現してます(正しいかどうかは判りません)。
それで、ですよ。
昔、というかほんの20年くらい前まで。
医師は「お医者様」と呼ばれ、すっごい権威があったわけですよね。
白衣、聴診器といった小道具もあいまって、診察室にいるだけで、医師は本人そのものの持つオーラを何倍にも拡大させることができたんです。
ですから、その時代には
「心配するな。ワシが治してやる」
「ありがとうございます。治してください」が、ごく普通の会話だっただろうと思うのです。
ところが、昨今。あれよあれよと医師の権威は失墜し。医師ってだけでオーラ十倍だったのが、それがなくなっちゃったから(;゜∇゜) 説得力を持たせるには、以前とは比べ物にならないくらいいろんな努力をしなくてはいけない
いや、もちろん、努力はしなきゃいけないんです。患者の話をよく聴き、正しい診断のもとにインフォームド・コンセントをきちんと行い診療をする。それはもちろん大前提というか、当たり前のことなんですよ。
ただ、その時に患者さんが無意識に「この人は信用できる。納得できる
」と思っている場合と、「この人は信用ならない
」と思っている場合では、いろんなことが全く違ってくるんですよね
「信頼できる雰囲気」があると、話も和やかで診療もスムーズです。逆に、「信用ならない
」となるとまず患者さんに納得してもらうまでに多大な労力が必要ですし、常に診療効果に疑いをもっていれば、プラセボ効果の話の逆で、なにもかもがうまくいかなくなりがちです
ですから、医師は、いい雰囲気「オーラ」を持つように努力しなくてはならない。というか、いい医師っていうのは、それを持ってますね
で、オーラをいかに纏うか。
まずは外観。顔立ちは仕方ないですが髪型、服装、化粧、清潔感。そして表情、目線、姿勢、声、しゃべり方。この辺は努力でも補えますが、『育ち
』、というのもあなどれなかったりします。
もちろん医師としての経験値、年齢もあるし、肩書きってのもある。ちなみに、オーラを増す小道具(肩書き)としては、「教授」「医学博士」「専門医」「診療部長」などが有効ですね
あと、やっぱり未だに、男性の方が権威あるように見せやすくて羨ましいと思うこともあります。若い頃、『男の医者を呼べ』って言われたことありますからね
だけど、何より大切なのは「真摯な姿勢」だと思います。あくまでも真摯に医学、患者と向き合い続ける姿勢。
そして、驕ることなく弛むことなく、それをずーっと長く長く続けてきていて初めて、自然に「オーラ」が出てくるのだと思うのです。
こういう医師になら、むしろ「治してあげましょう」と言われたら、本当にありがたくて、素直にこうべをたれて「お願いします」と言ってしまいそうです。
本来の医師と患者の関係って、そういうものかもしれませんね。
まだまだオーラの足りない私はやっぱりいろいろ努力をしなくてはいけないし、とてもとても「治してあげます」なんておこがましくて言えません
でも、いつかはそういう医師になれるよう努力し続けたいですね
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