「三角関数って大人になって使うことある?」
「元素記号覚える意味なくない?」
このように考えた事は、誰しもあるのではないだろうか。これに対して、
「仕事によっては使う」
「こういう時に便利」
という反論ももちろんあるだろう。確かに三角関数等は理系には必須だし、実際に「必要」だから学ぶというのも理解できる。
ところが、それでは結局“役に立つ”から勉強しているだけということにならないだろうか。
しかし、私はそうは思わない。
学問は「役に立たない」ものなのである。
正確に言えば、「役に立つ必要はない」のである。ピタゴラスが三平方の定理を発見した時、ニュートンが運動の3法則を見出したとき、それが何の役に立つか知っていただろうか。
では、何故学ぶのか。それはもう、人間だけの特権である、「飽くなき探究心」と言うしかない。他の動物にだって生き延びるための知恵はあるが、それ以上は無い。好奇心はあっても探究はできない。だが人間には幸いにも、圧倒的な頭脳と言葉があった。この圧倒的なアドバンテージは、身の周りへの興味•関心を疑問へと昇華させ、ついには学問を始めるに至った。
ここで、人類が最も深く相対してきた、数学について、古代の人々の考え方を二つ程紹介しよう。
一つは、古代エジプトである。エジプトでは、数学は「実用的なもの」に重点が置かれ、こと建築において絶大な力を発揮し、あの有名なピラミッドを建設するほどに発展した。
もう一つの例は古代ギリシャである。ギリシャでは、数学は「この世の真理を解き明かす」ことに重点がおかれた。ギリシャでも建築は発達したが、一番有名なのは哲学だろう。
エジプトでは、役に立つ部分は盛んに研究されたが、なぜそのような定理や法則が成り立つかまではあまり重要視されなかった。一方ギリシャでは、証明できないものは正しくないとされた。この際役に立つかは問題ではなかった。
さて、現代の数学を見れば、より大きな影響を持っているのがギリシャ数学である事は明らかである。もちろんエジプトだって数学の発展には貢献しているが、ギリシャはそれを遥かに超える。ピタゴラス、アルキメデスなど、教科書に載るような大人物も数多輩出している。
役に立つかという話に限れば、彼らにはそんな事は関係なかったのである。しかし、その後の人類史を知っていれば、彼らの書き残したものが現代においてどれほど多くのことに役立っているかはいうまでもない。ガリレオやニュートンなくして、今の世界はあり得ないのだ。
現代の日本には、先述のような”ギリシャ式”と言っても良い考えが、足りないように思うのだ。私も現在大学で将来の目標に向かって必要な知識を身に付けようと学んでいるが、そもそも、学びに対する興味•関心が無ければ、いくら必要だと言っても長くは続かないものではないか。ちょっとした発見に関心したり、難しい内容を理解できたり、やってると楽しいと感じる瞬間はたくさんあるのである。役に立たなくとも、それで十分ではないか。
「勉強って何の役に立つの?」
と言われても、あれこれ理由を考える必要はない。
「ただ知りたいから学ぶだけ。」
こう返せばいい。