中学を出て初めてアルバイトをしたのがボウリング場だった。

 

なんでボウリング場にきめたのか、友達のお姉ちゃんが紹介してくれた勢いだ。

それから友達と一緒にボウリング場で働きだした。

 

それが僕のボウリング人生の始まり。

今からお話しするのは、ボウリングをする6年前の話

ボウリングを始めたのは23歳になってからでした

この時はまさか、プロボウラーになるなんて思ってもいなかったし、まさかゲーム実況するなんて思ってもいなかった。

 

人と接するのがどちらかといえば苦手で、今でいう陰キャだった僕は、とにかく

 

必死に働いた、一緒に入った友達は一年もたたずに辞めてしまったのを今でも覚えてる。

 

ボウリング場でアルバイトしていた頃の話を少しづつしていこうと思う

 

友達は、イケメンで女の子にものすごくモテるタイプだったのに僕を誘ってくれた

 

アルバイトし始めた当初は、貸靴を担当していた、当時は今のように貸靴の自販機や

 

フロントで清算してロッカーで借りるシステムではなく、自販機で貸靴を借りるためのチケットを買い

 

クロークという場所にチケットをもっていき、自分の靴のサイズを伝えてボウリングシューズを借りる

 

システムだった。

 

僕はその貸靴を渡す、クローク担当だった。

 

根暗で、人付き合いのできない僕にはもってこいの部署だった。

 

友達は、イケメンなこともありフロント業務やインストラクター業務をこなしていた。

 

クリークやメカニックは、人と接する機会が少ないこともあり、職場になじむのに少し時間が必要だった

 

今は変わっていて

クロークは自販機や先払いシステムになっている

メカニックもフロントなどスタッフとコミュニケーションが取れる体制になっている

 

当時は職場になじむのにものすごく時間がかかった。

 

いつも孤独だったけど、仕事のやりがいはあった、人の背格好などから靴のサイズを見分けれるように

 

なっていたのを今でも覚えてる。

 

当時のクロークには貸靴を貸し出すだけでなく、ビリヤードの受付も同時に行っていたこともあり

 

少しだけど、ビリヤードもやっていた。この時はまだボウリングをほとんどやっていなくて、

 

クローク担当の時代は、ビリヤードの方が断然上手かった。

 

一応は高校生だった僕は、何となく学生をやっていたけど、友達もあんまり多く作れなかったのを

いまでも後悔してる。

高校生の時に出来た友達の弟君とは今でも仲良くやっている、その弟君は、磯崎隆プロなんです。

この高校生の時に知り合った、弟君は後に一緒のボウリング場で働くことになるんです。

 

なんとなく学生時代を過ごしているうちに、一緒にアルバイトを始めた友達がアルバイトを

やめてしまったのがきっかけで、フロント、インストラクターをやることになる。

 

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