大阪は 夕陽の町だった | 公認会計士 野田弘子の会計と経営の話し

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先月、法然上人霊場巡りで大阪は四天王寺に行ってまいりました。

 

四天王寺と言えば聖徳太子が建立したという日本最古の寺院。個人的には能の「弱法師」、浄瑠璃「摂州合邦辻」俊徳丸の舞台として一度は行きたいと思っておりました。

 

知らなんだ知らなんだ・・・四天王寺といえば、西に沈む太陽を見ながら極楽浄土を思うという修行、日想観の場だったんですね。四天王寺のあたりは大昔は海だったとか。海に沈む夕日はそれはそれは素晴らしい光景だったことでしょう。

 

名作「細雪」で、主人公の一人雪子のお見合い相手の娘が夕陽丘女学校に通うという設定なのですが、えらくハイカラ名前なのね、と思っていたのは大間違い。夕陽丘という地名は1236年に歌人・藤原家隆が、「日想観」を修するために移り住んだ場所に『夕陽庵』(せきようあん)を建てたからだそうです。

 

下村観山の名作「弱法師」、夕陽の意味がようやく分かりました。

 

一つのテーマが浄瑠璃にも能にも絵画にも歌にも取り上げられ、影響しあいながら文化が形成されていく。こういう時は日本に生まれてよかったと思います。