C-1 みずがめ座の時代を復習:ベスさんのブログ2015.2.6 | ベスのブログ カテゴリ別

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C-1 みずがめ座の時代を復習

 

 

 

Q.
「C-1地球ゲーム」にて
(質問)
2015年は何故、予言のオンパレードなのでしょうか
 ↓
(回答)

うお座の時代の完全な終わりを意味します
リラの影響も切れ、これからが寛容の時代の始まりです
二極化したエネルギーが同じマナの壺に入れられる、

それが本格的になるのです
一見非常に災害などのネガティブな話が蔓延していますが、

しかし、二極化というのは逆に互いが見えない時代です
それが互いを理解する時代でもあり、

そこに隠し様がない真実を目の当たりにすることも言えるのです
↑ ↑ ↑ ↑ 引用ここまで↑ ↑ ↑ ↑ 

【今回の質問】
『リラ銀河のエネルギーがかかると、全ては二分化される。

(社会主義、資本主義、貧富など)
1980年にこのエネルギーは終わった。

終わったあとというのは、

どちらかが消えなくてはならない<本より>』

影響が完全に切れたということなのでしょうか。
(エネルギーは終わっていたけれど、まだ少し残っていた?

それとも完全に終わっていたけれど、

人間の方にその癖が残っていた?)

A.
後者=完全に終わっていたけれど、

人間の方にその癖が残っていたですね
せっかく社会主義が消えたのに、

資本主義の中で再び二分化を始めたので

それもまた消えていくということです


Q.
寛容とは⇒自分と異なる意見・宗教を持っていたり、

異なる民族の人々に対して一定の理解を示し、

許容する態度である。

二極した、正反対のもの同士が、

ひとつの壺にぽいっと入れられる所を想像してしまいました。
始めは反発し合うけれど、

だんだんにお互いを分かり合っていく

時代になると考えていいのでしょうか

そして、その”反発”(ネガテブのエネルギー)こそが

災害の要因の一部になる
けれど、災害の時こそ手を取り合わなければいけない

そもそもその災害が起こらぬように
または災害という大難を小難にするように、

人類は手を取り合わなければいけないと考えていいのでしょうか

A.
よくこういう時「手を取り合う」という表現を皆さんは使いますが、

手を取り合うことより、

自分のことを120%の力を出して

そのバランスを取る方がいいと思うのです

手を取り合うほど余裕はありません
実際に皆さんと手を取り合う気は我々には全くないのです
いままで学んだことをフルに活用して自分で這いあがりなさい

嫌でも小難になります




つづき

Q.
A.みずがめ座の時代


(質問)
地球の自転は歳差運動により、

春分点は毎年わずかに時計回りにずれる。
つまり、2150年周で、星座ひとつ分移動する
牡羊座(約2000年)→うお座(約2000年)

※ちょっと前まで経験してた→みずがめ座

※1996年~今に至る
ここまで合っていますか?
 ↓
(回答)

実際はかなりずれますが大方あっています
また星座のことでみずがめ座の時代ということに補足するなら、

太陽系は銀河系の中心の周りをまわっています。

その中心を12区画分けて銀河連盟が存在しています。
その意味でも銀河系は次の区画に入るので

この2000年は変革の時代と言われています


メンタル体発動とこれから


現在この地球ではうお座の時代の名残として

「2匹の魚」という2面性の時代をやっと抜けて

みずがめ座の時代に移行しています
みずがめ座の時代は何度も申し上げるように 

自己管理、自己分析、自己責任の時代です


【今回の質問】
現在はみずがめ座と教えて頂きました。

石舟斎という人の話を読んでいたのですが
『自分がまだ知らない有益な一つの思想があったら、

知っている人に謙虚に学びなさい』

『(人より)知っているからといって自慢げに技を披露して

相手を打ち負かすようなことはやってはいけない』

『ただ、自分の成長のみを目的にして、

日々人や品格を高めていきなさい』

と書いてありました。

Q.
みずがめ座のキーワードは”自己”と捉えていいのでしょうか

(復習申し訳ありません)

寛容の反対の言葉は、

狭量(人を受け入れる心が狭いこと。度量が狭いこと)です。

違いを認め合う、人様を非難するならば自己を反省する
他人と競争して勝ったところでそれは無意味であり、

共存共栄な生きかたがいいと考えていいのでしょうか

どうぞ宜しくお願い致します。


A.
他人の非難同様、自己反省も二の次だと思います

もし競争するなら、昨日の自分に勝つ
周りの人間をいかに利用して、

小さな力で最高の成果を上げるかを考え実行する
それに尽きると思います

有事の時と平時の時では思考回路を変えないと、

変化についていけません

生き方などというマクロな考えではなく、仕方を変える事でしょう



Q.
最終的には寛容なのですが、
今の時点では、相手を(背景や歴史)、

考え方の違いを理解すること

今まで(戦後)日本はぺこぺこ謝ってきました
それではなく、きちんと議論すること

対等に渡り合えるように、そこはしたたかになること
これを普段の生活に取り入れると
ただ批判、拒否するでなく⇒二極化

相手を認める、話を聞く、自分がどうすればいいか(相手とうまくいくか)考える、相手を巻き込めるよう頭を使う⇒寛容

なのでしょうか
どうぞ宜しくお願い致します。


A.
日本の場合は相手の話を聞きすぎます
物事ある程度で行わないと自滅するでしょう

一瞬で相手の長所と短所を見分け(=分析し)

自分にとって都合がいいように変化させ(=管理

それに関してどんな失敗が起きても常に腹をくくることです(=責任

有事の際はその時間が短いので変化が激しくなります
既にある程度日本人は激変に耐えていきました
あとはその平時感覚の思考をいかに有事感覚に取り戻すかです
それは戦うではなく、闘わずして勝つ方法を常に考える

そんなことを我々は求めています
その流れに対して鷹揚に受け入れることが寛容なのです

いい質問をありがとうございました