つぶあん派ですか?こしあん派ですか?
ここ数年、メディアやインターネット上でよく耳にするテーマであり、私が日本あんこ協会の会長をやっていて、最も多く投げかけられる質問のうちのひとつだ。この質問に、つぶあんと答える人の多くは、まず他の豆にはない、小豆のあの独特な風味の虜だと言う。世界のどこを探してもないであろうコロコロほろりと崩れゆく心地よい“つぶ食感”にも魅了される。一方、こしあんと答える人のほとんどは、さらりとした滑らかな舌触りと喉ごしにゾッコンだ。こしあんが好きな人は「あんこは飲み物だ」とさえ言う。一部には、こしあんの美しい藤紫色に惹かれるビジュアル系のあんこファンもいる。

 


そこで「おまえはどうなんだ?」と言う声が聞こえてくる。私に関して言うと、昔の私であれば、正直答えに窮していただろう。しかし、小学生の頃にあんこの素晴らしさを知り、長らくあんこを突き詰めてきた私にとって、答えはもう決まっている。「どちらでもない。そもそもその質問は存在しない。」これが新聞やテレビの取材ならば、インタビュアーは「うまく逃げたな」という顔をする。しかし、決して逃げたわけでも、誤魔化すわけでもない。その理由を聞いていただきたい。

つぶこし論争を否定する理由
私が、つぶこし論争の存在を否定する理由は、日本あんこ協会の理念、つまり協会創設者である私の人生のポリシーに依拠する。日本あんこ協会とは、あんこを通じて世界平和の実現を目指すあんこ愛好家だけで結成された協会団体だ。2018年創設当時、17名だった“あんバサダー”と呼ばれる協会員は、この4年と半年で9,400名にまで増えた。あんこは人を笑顔にし、現代社会に忘れ去られたぬくもりを思い出させる、最もハートフルな食べ物だと信じている。我々は、そんなあんここそが世界平和の象徴であると考え、あんこによる地域振興と情操教育を主幹事業に取り組んでいる。

 


さて、つぶこし論争に話を戻そう。私はあんこと世界平和が大好きだ。だから、協会創設にあたっても、それらを組み合わせ、理念に掲げた。あんこを通じて世界平和を目指す私にとって、つぶあん派もこしあん派もあり得ない。派閥が存在すれば、その先に争いが生まれかねないからだ。そもそも、小豆を主原料とする小豆あんには、つぶ、こし以外にも、代表的なものに、つぶしあんや小倉あんがある。つぶしあんとは、敢えて小豆を潰し炊いたあんこのことだ。小倉あんとは、つぶあんとは本来別物で、大納言小豆という高級な大粒小豆を蜜煮して、普通サイズの小豆で作ったこしあんに混ぜて煉られたあんこのことを言う。あんこは、もはや二元論ですら語れないのである。

あんここそ多様性の権化
さらに、普段食べるあんこスイーツをよく思い出していただきたい。こしあんのたい焼きを見たことがあるだろうか。たい焼きのほとんどは、つぶあんやつぶしあんだ。和菓子には元来素材の食感を合わせるという考え方がある。カリっとした焼き目がつくたい焼きの生地には、上品なこしあんより、がぶりと食べ応えのあるつぶあんのほうが合うのである。逆に羊羹にはこしあんが多い。つるりと喉ごしの良い寒天を使った棹物には、口当たりの滑らかなこしあんがマッチする。春には必ず食べる桜餅、これもそうだ。一般に関西風と呼ばれるつぶつぶ食感の道明寺にはこしあんもあるが、つぶあんもよく見かける。しかし、関東風と言われる小麦粉を使ったクレープ状の生地でまく長命寺は、こしあんが主流だ。

 


あんこの世界は、つぶあん派やこしあん派という表現だけでは語りつくせない。それぞれのあんこには良さがあり、輝ける場所があるからだ。つまり、あんこというのは、まさに今世界で叫ばれるダイバーシティの権化と言えないだろうか。あんこを突き詰めるうちに、私はこのような答えにたどり着いた。

没入することで新しい世界と出逢う
世界が分断の危機にあると言われて久しい。人類の誰もが望みながら、世界平和はいまだ成し遂げられるに至っていない。つぶかこしか、東か西か、オレかオレ以外か。物事を二元的に捉えれば、それは争いの火種となりかねない。もちろん、争いが起きるから二元的に語ってはいけないということでない。そもそも物事は多様性に富んでいるのだ。それぞれに個性があるからこそ、世界は彩りに溢れ、互いを尊重し合うことができる。あんこを通じて、私はそう直観したのだ。

幸いあんこは私に、私のちっぽけな脳だけではたどり着くことのできない重要なことを気づかせてくれたと思う。人間は結局、誰かに教えられることで学びを得るのではなく、何かに没入し続けることで、ハタと気づきを得るのではないかと思う。私の場合は、それがあんこだった。あんこが大好きで、あんこにのめり込み、あんこにたくさんの大切なことを教えられてきた。好きを突き詰めれば、新しい価値観や寒天に出逢えることが多々ある。世界が違って見えてくるのだ。だから好きは止められない。私はあんこをやめられないのである。