私は過去10年にわたってとりつかれていた怪物、人を無気力と倦怠、挫折と失望、非生産性と虚無感、をすべて経由したのち緩やかな自殺に導く精神的魔物に勝利を収めた。
要因は複合的なものであった。治癒が遅れたのは、症状たる無気力自体が要因の分析と回復の試みの実行を遅延させたことを加味しても、この複合的要因の複雑さによる。
結果的に正解であった手段はこうだった:
① 哲学的思想の矯正→哲学的思想の放棄→左脳の機能の一部制限(「自我の喪失」を含む)
② 物理的生活環境の改善・人間的生活習慣の改善
③ 日々追われる作業の抜本的改善
④ 具体的将来像の確定
10年前に何故に魔物にとり憑かれたかということはよく覚えていないが、③に起因したと想像する。
これに改善の光が差したのは1年半ほど前のことである。挫折とともに④が確定した日。
②は継続的に行っていた。が、直近の、安心する秘密の作業場(第三の場所)の確保が明らかに最大の効果を上げた。
③は結局、達成したのはごく最近である。それまでは悪化の一途をたどっていた。なぜなら、通常うまくいかず、大量の労をかけ、かつ極めて進捗が遅く、退屈で、成果もあがらない方法に固執し、それが何故ダメなのかいえば、おそらく方法の改善が不十分であろうと考え、さらにそれを徹底しようとしていたからである。不幸にも、あまりに大量の労と時間をかけて行っていたために、破滅的な結果を回避していたことが、それが間違った方法であるとの認識を何年も遅らせていたのだろう。
これが確信に転化したのはここ数日のことである。某感染症で以前の方法の代替で間に合わせていたところ、こちらの方が2倍ほども作業効率がありそうなほど、うまく進んだ。疲労も少なく、安上がりで、単純で、しかも手軽だから、これまでのことを考えれば、なんだ簡単なことじゃないかと拍子抜けする。安堵もした。時系列でいえばこれが最後の要素であった。
①について、思想の蓄積は2年前から停止している。致命的な精神状況から脱したからだろう。現在に集中するにつれ、漠然とした役に立たない歪曲した真面目な馬鹿げた思想に囚われることが減少していった。しかし最終段階たる「左脳の機能制限」に到達したのはやはりごく最近、1カ月ほど前だ。これには以前の記憶を繋ぎとめる鎖をすべて放棄する決断が当時としては不可避であったために、躊躇もあった。だが通常考え得る限り、正しい選択はこれだと断言してよかろうと、現在では判断している。
宣言しよう。
自らの苦悩と悔恨、無能への失望、将来への絶望を永遠に巡回してきた日々は、絶えざる10年の挑戦により終焉したと。
私には確信がある。この化物に勝利を収めたことこそ、二重の意味における不可能性の打破の証明であると。
あなたにも、不可能性の打破の証明は存在する。目的地は実在する。
私のこの苦悩の歴史というものは要約すれば、大体ゴミである。
頑張ったり、さぼったり、死にかけたり、決断の前にチキン野郎になったり、コロナになったり、何カ月もぼんやりしたり、目標なく漫然と呼吸をしたり、固執したり、浮気になったり、他色々、
これらの経歴が我々を構成するし、訳のわからぬ経路を経てたまに目的地を照らす。ごみのような経験というものはだいたいゴミだが、そのゴミ特有の、そのゴミにしかない栄養素が微量に存在する。
これがなければ私はここに到達していたであろうか。さあ、どうだろう。よくわからない。
だが、私はこれらゴミから私を10年かけて錬成した。ゴミから誇りある人生は錬成可能である。
他者の人生など何の参考になるはずもないが、あれは人間がああなりえるという驚愕の事実を示す。
...おや、何の話をしている。このあたりで終わっておこう。