
痛い・痛い・痛い・痛い・痛い、我慢できない痛み、でも、どうしようもない
思わず、過去の過ちを誰かに懺悔する気持ちなりました。
しばらく、布団の上で、のたうち回っていましたが、やかで、痛みは治まって行きました。
先程の痛みはなんだったんだろうか、のど元過ぎれば、なんとやらを実感
でも、朝になって、筋肉が固まった痛み、まだ残っています。歳ですね。
ところで
先日、ある方から大相撲9月場所の招待券を頂戴しました。
相撲は、幼いころから好きなスポーツです。
小・中学生のころは、スポーツと言えば野球・相撲
当然、それらの覇者が子供たちのヒーローでした。
野球で言えば、長島・王ですね。
しかし
オヤジの地域では、背番号3と言えば「中」、背番号1と言えば「高木守」
間違っても、長島・王なんて決して言えない土壌でした。
地元で、巨人を応援するなど
アルカイダの中でアメリカ万歳を唱えるようなものでした。
オヤジは
少年雑誌の表紙を飾る王・長島の笑顔を見て
密かにあこがれが涌いてくるのを抑え
この笑顔に騙されてはいけない。
僕たちのヒーローは、中さんだ高木さんだと自分に言い聞かせていました。
特に、小学4・5年生のときは、川上巨人の全盛時代
8時半の男、宮田投手が出てくると
あっ、また負けかという暗い殺伐とした雰囲気が
食事を終えた後の居間にいつも漂っていました。
オヤジの小・中学校時代
地元球団は、
1954年、オヤジが生まれた年に優勝して以来
ずーっと優勝に見放されていました。
江藤・木俣などリーグ通算打撃では、活躍していたのですが
チーム自体は、成績不振の連続でした。
そのため暖かく楽しかるべき団欒
いつも暗い雰囲気につつまれていました。
優勝できないのは、自分のせいではないか、なんて
変なトラウマ、オヤジの幼い心を傷つけていました。
ですから、オヤジ、地元を離れて
この呪縛から解き放たれとき
あのころの自分をやっと客観的に見つめることができるようになりました。
戦争が終わって、民主主義の世の中になり、嘗て、軍国少年だった
自分を見つめるような感じで・・・
でも、帰郷し、旧友たちと、再開すると
「おみゃ、茨城にいるらしいけど、応援しとる?」と思想調査が入ります。
オヤジ間髪を入れず
「あったりまえだぎゃ、名古屋人であること変わりゃせんよ」と答えてしまう
哀しさ・・・・
この呪縛からは永遠に解放されないようです。
あっ、そう言えば、
相撲のことを書こうと思ったのに
野球の方に行ってしまった。
軌道修正して・・
栃錦・若乃花時代は、鮮明な記憶はありませんが
大鵬・柏戸全盛時代は、まさに件の地元球団ユーゲント時代でした。
何故か、相撲は、野球ほど地元応援ファシズムに毒されておらず
全国区の「巨人・大鵬・卵焼き」の中で
「大鵬」と「卵焼き」は、地元の目を気にすることなく
好きだと言えましたし、誰、憚ることなく応援できました。
ただ、横綱ではどちらかと言うと柏戸を応援していました。
これも判官贔屓というより
やたら強かった川上巨人に対する憎しみの余波が
やたら強いかった大鵬にも及んでいたのかも知れません。
但し、玉乃島(玉の海)が優勝争い食い込むようになると事情は変わってきますが・・・
今回、ご招待で相撲を観戦させて頂けるというラッキーな展開になり
琴光喜の取り組みだけは、絶対写真撮ろなんて・・・
今からワクワクする気持ちを抑えがたいものがあります。
でもこれは、地元応援ファシズムじゃないです。
郷土愛ですよ、郷土愛・・・・