先週は、インフルエンザでひどいめにあった。
元気なのは、かみさんとチップだけだった。
オヤジとチップだけが元気だったら、皆、こんなに早く快復できなかっただろう。
かみさんにはいつもながら大感謝!
息子1・2・3号は、至って元気だが、当局の指示で学校へは行けず、家庭内隔離が続いているが、本人たちは、快復した体力を持てあまし、チップを交えて運動会状態になっている。
オヤジは、熱でボンヤリしながら、べとさんの狩猟日記を拝見していた。
そこには、鴨が2羽、やすらかな顔で雪上に横たわっている写真があった。
「自分が撃たなければ、鴨たち、今頃、羽づくろして..云々」というような記述があった。オヤジも同じ状況になったら、きっとそう思うと思う。
獲物の日々の生活状態を知ると仕留めたとき何か割りきれないものを感じる。
獲物の生き様を知れば、知れるほど、それをこちらサイドの事情で一方的奪ったことの傲慢さに対する反省の念がおきるのだろう。
特に、ぺとさんは、獣医さんだから一般のハンターより、動物の生き様をよくご存じだから、オヤジの数倍いや数十倍この気持ちが強いのだろう。
仮に、ブロイラーを擬人化し、その生き様?を日記風にした童話を子供たちに読ませたら、たぶんフライドチキンをしばらく食べなくなると思う。
それではいけない、子供たちにそれを知らせることにより、命の大切さを教えるのだという人もいるが、オヤジは、鶏が鶏肉になる過程を知ったところで、生き物の命を奪ってよいとする免罪符にはなっていないと思う。
人間が反省の念を感じるのは、自然界で動物たち(自分たちも含む)を駆逐してしまわないように、創造主がインプットとした安全装置じゃないのだろうか?たまに、それが備わっていない奴がいるが...
日常生活では、この安全装置が働く機会は、こちらから求めないかぎりまずないが、狩りという非日常の中では、それが働く。
むしろ、人間として正常な証拠だと思う。猟を生業しているハンターの皆さんが獲物の供養を特に心がけておられるのもそのためではないだろうか?オヤジは熱の中でそんなことを考えた。
元気なのは、かみさんとチップだけだった。
オヤジとチップだけが元気だったら、皆、こんなに早く快復できなかっただろう。
かみさんにはいつもながら大感謝!
息子1・2・3号は、至って元気だが、当局の指示で学校へは行けず、家庭内隔離が続いているが、本人たちは、快復した体力を持てあまし、チップを交えて運動会状態になっている。
オヤジは、熱でボンヤリしながら、べとさんの狩猟日記を拝見していた。
そこには、鴨が2羽、やすらかな顔で雪上に横たわっている写真があった。
「自分が撃たなければ、鴨たち、今頃、羽づくろして..云々」というような記述があった。オヤジも同じ状況になったら、きっとそう思うと思う。
獲物の日々の生活状態を知ると仕留めたとき何か割りきれないものを感じる。
獲物の生き様を知れば、知れるほど、それをこちらサイドの事情で一方的奪ったことの傲慢さに対する反省の念がおきるのだろう。
特に、ぺとさんは、獣医さんだから一般のハンターより、動物の生き様をよくご存じだから、オヤジの数倍いや数十倍この気持ちが強いのだろう。
仮に、ブロイラーを擬人化し、その生き様?を日記風にした童話を子供たちに読ませたら、たぶんフライドチキンをしばらく食べなくなると思う。
それではいけない、子供たちにそれを知らせることにより、命の大切さを教えるのだという人もいるが、オヤジは、鶏が鶏肉になる過程を知ったところで、生き物の命を奪ってよいとする免罪符にはなっていないと思う。
人間が反省の念を感じるのは、自然界で動物たち(自分たちも含む)を駆逐してしまわないように、創造主がインプットとした安全装置じゃないのだろうか?たまに、それが備わっていない奴がいるが...
日常生活では、この安全装置が働く機会は、こちらから求めないかぎりまずないが、狩りという非日常の中では、それが働く。
むしろ、人間として正常な証拠だと思う。猟を生業しているハンターの皆さんが獲物の供養を特に心がけておられるのもそのためではないだろうか?オヤジは熱の中でそんなことを考えた。