人間は自由の刑に処されている
こんばんは。
最近ブログ当番の担当率が高い山下勝弘です。
他の人の更新を見たい人はゴメンなさいね。苦情はお近くの役所まで。
まぁこの機に名前だけでも覚えていってくださいな。
さて、もはや書くネタが見つからないので、今日はちょっと学生っぽく真面目に話そうかと思います。
が、色々してたらもうこんな時間で、あまりにも眠すぎるので簡単にしますw
みなさんはタイトルに書かれてある言葉をご存知でしょうか?
この言葉はフランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルの言葉です。
サルトルの思想は実存主義によるもので、つまり人間は自らつくるところのもの以外の何ものでもない、実存が本質の先に立つと考えています。
まぁ簡単に言うと、人間には本質というものが存在していなく、もし神様でも本当にいて「人間はこういう生き物だ!」という本質を決めていない限り、自分自身で自己の本質を自由に選び取ることが出来るっちゅうわけです。
そこからこのタイトルの言葉へ戻るわけですが、みなさんは自分自身を自由だと思いますか?
サルトル曰く、本質がなく存在している私達は自由なんですって。縛られるものがないってことですからね。
でも、それ故自由には責任というものが否応無く付きまといます。
私達には無限の選択肢が広がっています。そしてそれを選ぶことができます。
いや、言い換えると選択をすることしかできないのです。
もし本質が決まっていたら楽ですよね、その通りに生きていればいいんですもの。
でも自分達は全てのことを自ら選んでいくしかないわけですよ。
そして何を選択しても、それの結果は全て自分が受け入れなくてはならないのです。
例え、誰かに助言されたとしても最終的に決定を下したのは自分なのですからね。
書きたいことは色々あるのですが、要するに今のこの状況があるのは全て自分の責任だということです。
関東に来たのも大学に入ったのも千葉に引越したのも舞台をやることになったのも全て自分が選択したことです。
この選択をいい結果に持っていくか、悪い結果に持っていくかは全て自分自身でつくるしかないっすよね。
ただ、50年後の未来がどんな結果になろうとも後悔はしたくないです。というかする気がしないですけどね。
未来は僕らの手の中