はじめまして。

私立医学部志望の三浪です。

昔から普段の気づきや心情をノートにまとめていたのですが、今年は初めてブログに綴っていこうと思います。

是非見守ってくださったら嬉しいです。



私の過去をざっくりまとめます。

医師になりたいと思い始めたのは小学生です。

田舎出身で皆が地元の中学に行く中、私はバスで2時間弱かかる場所にある中高一貫校に中学受験をして入学しました。

中学には勉強のできる人達ばかりで、ただでさえ行き帰り合わせて4時間弱の通学時間を要するのに、部活にも入っていたため、とにかく勉強する時間がなく、どんどん成績は下がっていきました。

休日も老人ホームや児童養護施設などに出向いて楽器の演奏ボランティアをしていたため、勉強はほぼしていませんでした。


高2で部活は終わったものの、高3にあがった時に病気になり何ヶ月か入院して、勉強なんて全く出来ませんでした。

入院していたことを周りに伝えていなかった私は「皆もう私のことなんて相手にしてくれないかな」「学校サボってるって思われちゃったかな」と周りからの疎外感を感じ、鬱になって高校に通えなくなりました。

入院中に服用していた薬の副作用で全身が浮腫み、醜い姿になっていたのも鬱を加速させました。



そして始まった浪人生活。

一浪目と二浪目は同じ医学部専門予備校に通いました。

お前の頭は高2レベルだから二浪は覚悟しろと言われていました。

ここには長くなるためまた別にいつか載せようと思いますが、その予備校でもまた色々あり、二浪目は集団授業を受けられなくなり、お金のかかる全て個別指導のコースに変更しました。


一浪二浪でかけた総額は住居費含め2000万円以上でしょう。私の家は凄く裕福なわけではありません。

しかし、今までのお金が全部無駄になるくらいなら、二浪目でいくらかけてもいいから合格しろと言われ、お金のかかる講習もたくさん受講しました。

しかし結果は補欠どまり。

他学部も受験していたので親にはそこに進学しろと何度も言われましたが、私はそれを受け入れられず、二浪で最後と約束していたのに三浪することになりました。

父親は浪人を経験しているのでなんとか理解してくれましたが、母親は頭が狂ったように私に怒鳴りつけ、ストレスで円形脱毛症になってしまいました。

母親をここまで追い込んでしまったことに何度も後悔しました。

寿命と引き換えに過去に戻れるタイムマシーンのようなものがあるのならば、私は寿命を5年売ってもう一度高校生をやり直したいと思うでしょう。もっと言えば8年売って小学生の頃に戻り、中学受験をする選択を辞めたいと考えます。


ただそんなことは叶うはずがありません。

時間は着実に進んでいて、過去を思い悩む暇など私には無いです。


3/31 私立医学部の補欠が回る最終日、私のスマホに補欠の電話がかかってくることはありませんでした。

どうやら補欠をもらった三校のうち1番希望を持っていた大学の補欠は私の番号の3つ前で止まってしまったようです。

あの時諦めずにあと1点だけでも多くむしり取っていたら私は今年の春から医学部生になれていたと思うと苦しくて仕方がないです。


3つ前で止まってしまった事実を知って呆然としていた私に、「もう1年頑張るって決めたんでしょう。ママ応援するって決めたから。」とあれだけ三浪を否定していた母親が言ってくれて、夕食に私の大好物のビーフシチューを作ってくれました。

母親の愛を感じる味で、食べながら涙が止まりませんでした。


これを書いている4/2、やっと色々な気持ちが吹っ切れてきて、前向きになりつつあります。

三浪目は一浪二浪目とは違う予備校に行きます。


これまでの私も、スマホでSNSやゲームをしたり友達と遊び歩いたり、そんなことは全くしていなくて真面目でした。

それならなぜ不合格だったのか。勿論勉強の仕方が悪かった部分もありますが、いちばんは「心の弱さ」でしょう。

周りの視線が怖くて不登校になった高3、下のクラスにいる自分を受け入れられなくて集団授業に参加できなくなった二浪目

私はとても弱い人間です。この弱さから脱却しない限り、私は医学部合格を掴めないどころか、医師になる資格もないと思います。


応援してくれている家族や親戚たちがいるだけ私はまだ幸せ者です。

自分がどれだけ恵まれているかをしっかり考えて、一浪二浪には絶対負けない。自分自身にも絶対負けない。

この気持ちで1年間頑張ります。


長くなってしまいましたが、これからまた浪人生活について自己満ではありますが載せていきたいと思いますので、暖かく見守っていただけたら幸いです。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。



つづく、、、