「暗黙の了解」は暗黙のまま(ゴミを拾うために来た工場長)
久しぶりに文化の違いを感じる面白い話を聞いたので、ブログで紹介しておくことにする。
ある日本企業で、製造工場の建て直しで伝説の人が、中国の工場の建て直しのために、工場長として赴任してきた。来て早々日本で実践しているとおり、工場を歩き回りながら、自らゴミを拾っていった。製造工場などは、整理整頓されてはじめてカイゼンなどを実践でき生産効率があがっていくためだ。
1週間ほどして、現場の中国人が、工場長に対して、
「工場長、そこにゴミが落ちてますよー」
とのこと。
その中国人は、ゴミの場所を伝えることで、ポイントを稼ごうとしたわけだ。つまり、工場長がゴミを拾うためにいる人だと思ったわけだ。
ここで振り返ると、日本人であれば通じるであろう暗黙の了解が前提にあることがよく分かる。
1つ目の暗黙の了解は、
自分の背中を見て学ぶことを期待する
ということだ。
日本であれば、上司や先輩が自らお手本を示す、というのがあるべき姿、という暗黙の了解がある。ところが、日本以外の多くの国では、日本よりも貧困の差もあれば、それに伴う社会での、仕事での役割分担というものがある。インドでカースト制が根強く残っていれば、中国でも都市の人と農民の隔たりはまだまだ大きい。欧米の一般的な企業でも、エグゼクティブと一般社員は、給料も違えば求められる成果も違うわけで、日本のように全員が会社のために残業をする、ということはあり得ない。
この現場の中国人は、この工場長はゴミを拾う人(拾う役割)と理解したのだ。
2つ目の暗黙の了解は、
工場は、整理整頓されてはじめてカイゼンなどを実践でき生産効率があがっていく
ということが現場と共有されていなかったためだ。多くの工場などの現場では、上司やリーダーの指示以外のことをやらない。そもそも、それ以外をやれと言われていないので、指示されたこと意外をやるという発想などない。
これらの2つのベースになる考え方が共有されていないため、私に言わせれば、工場長が共有していなかったため、先ほどの中国人は、ポイント稼ぎのために、工場長にゴミの在りかを教えてくれたのだ。
日本の標準が海外、世界での標準であるとは限らない。むしろ日本の常識は世界の非常識であるケースの方がよっぽど多い。
このようなことを知識として知ること、理解することがグローバルで戦うために求められるスキルの1つである。もちろん、すべてを知ることは出来ないが、このように自分には色眼鏡がかかっているんだ、ということを認識することはいつでも、どこでも何の知識がなくても出来ることである。
「暗黙の了解」は暗黙のままなのである。