グローバルで戦えないあうんの呼吸(明文化、数値化するのが得意でない日本人) | 「先読み力」で人を動かす

グローバルで戦えないあうんの呼吸(明文化、数値化するのが得意でない日本人)

私の現在の仕事は、日本と中国で国境をまたがって行われる百を超えるプロジェクトを全体をすることだ。日本からいつも言われることは、品質が悪い、ということ。言われることはいつも同じなのだが、そもそも品質とは何だろう?と思い、昨年の満足度調査結果やその他のデータを細かく分析してみた。


実際に品質が悪いのかもしれないが、そもそも、品質目標が数値化されていなかったり、「メールのレスポンス」だったり「態度・やる気」の問題を品質と総称しているケースが多々あった。


が、中国の人からすると、そんなこと聞いてもないし書いてもないし、周りの状況や相手の置かれている立場を理解できるわけないので、「わからない」のである。


目指す方向が違えば、どんなにがんばっても、満足を得られることはない。



そこで、主要なプロジェクトで開始時に日本とキックオフ会議を設定し、私自らも参加して、品質目標を合意するようにした。主要といっても30-40はあるのでかなりのボリュームだ。


お互い目標設定を終えた後、私が必ず日本側に質問することがある。それは、「これを達成したら、満足度調査で満点とは言わないまでも高得点はもらえますよね?」と聞く。


すると、「実は、もっとこのエリアも中国側でやってほしいと思っている」とか「この数字は実はそのまま使えないのでこの数字も考慮が必要」とか「メールの返信が遅いので何をやっているかよく分からないことが心配」とか、必ず出てくる。



まさにこれがあうんの呼吸的な日本流だ。



日本人どうしならあうんの呼吸、もしくは、同じ習慣をベースに考えられるので、明文化する必要がなのだろう。当たり前なことだからである。


しかし、グローバル流では、役割分担・責任範囲を可能な限り厳密に決めることで、抜け漏れを防ごうとする。逆にその範囲外で問題が発生した場合は、責任を追及されない。役割分担・責任範囲として明記しなかった人が悪いわけだ。


日本流は、役割分担・責任範囲が曖昧になりがちになる。日本国内に閉じたプロジェクトであればそれでもうまく行くケースは多いのだろうが、国境を越えた瞬間にそれではうまくいかない。


ドバイのインフラ開発で、ドバイショックの後、日本企業が経験した数千億という未払い問題はまさにこれで、契約書の責任範囲を超えて日本人魂でどうにか継続・完成させよう、とがんばったことが、結果的には裏目に出ている。(後に、未払いにあった会社の社長が、「他国は一斉に撤退したのですが、出来なかった。世界で戦うには、契約書どおりに撤退することも必要だった、ということが勉強になった」とインタビューで言っていました)


グローバル流が必ずしもいいと言っているわけではない。どんなに厳密に責任範囲を決めても必ず抜け漏れが発生するから、その結果、プロジェクトがうまくいかないケースも多々ある。ただし、国境を越えた世界ではグローバル流で動いているので、それを知った上で、進めることはきわめて重要である。


また、あうんの呼吸をベースとする日本人の我々にとって、明文化、数値化する訓練を受けてきてないのも事実なので、このエリアが得意でないと認識して訓練することも重要だろう。




最後に、役割分担・責任範囲以上にやろうとする、もっと言えば、隙間に落ちた抜け漏れに気がつける日本人はすごいと思う。これは日本の誇るべきところだと思う。


このマインドが受けいれられるところはどこかと言えば、「おもてなしの心」に代表される接客などのサービス業だろう。そこが日本としての価値を最大限に発揮できる場所なのかもしれない。


一方で、そこまでのサービスを日本以外ではほとんど求められていないことも事実なのだが。。